翻訳と辞書
Words near each other
・ カルロス・スリム・ヘル
・ カルロス・セイシャス
・ カルロス・セクレタリオ
・ カルロス・セデーノ
・ カルロス・ソアレス・ガリット
・ カルロス・ソリス
・ カルロス・タイス
・ カルロス・タカム
・ カルロス・タバレス
・ カルロス・タマラ
カルロス・タンクレド・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス
・ カルロス・チェカ
・ カルロス・チェスコ
・ カルロス・チャベス
・ カルロス・チャン
・ カルロス・テオ・クルス
・ カルロス・テノリオ
・ カルロス・テベス
・ カルロス・テヴェス
・ カルロス・ディアス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カルロス・タンクレド・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス : ミニ英和和英辞書
カルロス・タンクレド・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス[かるろす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カルロス : [かるろす]
 【名詞】 1. Carlos 2. (n) Carlos
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
シリア : [しりあ]
 【名詞】 1. Syria 2. (n) Syria

カルロス・タンクレド・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス ( リダイレクト:カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ ) : ウィキペディア日本語版
カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ[しりあ]

カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(, 1870年11月10日 - 1949年11月11日)は、、また旧両シチリア王国の王家ボルボーネ=シチリア家の一員。スペイン語名はカルロス・タンクレド・デ・ボルボン=ドス・シシリアス()。最後の両シチリア王フランチェスコ2世の甥に当たる。
== 生涯 ==
両シチリア王フェルディナンド2世の四男カゼルタ伯アルフォンソと、その従妹で両シチリア王族のマリーア・アントニエッタの次男として生まれる。
1901年にマドリードで、スペイン国王アルフォンソ12世の王女マリア・デ・ラス・メルセデスと結婚した。父アルフォンソは嗣子のいないフランチェスコ2世の死後に両シチリア王家の家長となっていたが、カルロはこの結婚に際してその継承権を放棄し、代わってスペイン王子の身分を得た。2人の間には2男1女が生まれた(名前はスペイン名で記す)。
* アルフォンソ(1901年 - 1964年) スペイン王子、カラブリア公
* (1903年 - 1905年)
* イサベル・アルフォンサ(1904年 - 1985年)
1903年にマリアと死別した後、1907年にパリ伯フィリップの娘ルイーズ・ドルレアンと再婚した。2人の間には1男3女が生まれた(上に同じ)。
* (1908年 - 1936年)
* マリア・デ・ロス・ドロレス(1909年 - 1996年)
* マリア・デ・ラス・メルセデス(1910年 - 2000年) バルセロナ伯フアンと結婚、スペイン王フアン・カルロス1世の母。
* マリア・デ・ラ・エスペランサ(1914年 - 2005年) ブラジル皇位請求者ペドロ・ガスタンと結婚。
両シチリア王家家長であった兄フェルディナンド・ピオに先立って死去した。1960年に死去したフェルディナンドは男子がおらず、家長の座を巡ってカルロの長男アルフォンソと、カルロの弟カストロ公ラニエーリが争う事態となった。以後もこの2人の子や孫の間で係争が続いている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Prince Carlos of Bourbon-Two Sicilies 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.