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カルロス・ベルトラン : ミニ英和和英辞書
カルロス・ベルトラン[かるろす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カルロス : [かるろす]
 【名詞】 1. Carlos 2. (n) Carlos
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

カルロス・ベルトラン : ウィキペディア日本語版
カルロス・ベルトラン[かるろす]

カルロス・イバン・ベルトラン(Carlos Ivan Beltrán, 1977年4月24日 - )は、プエルトリコマナティ出身のプロ野球選手外野手)。右投両打。現在はMLBニューヨーク・ヤンキースに所属している。
2000年代のMLBを代表する5ツールプレイヤーとして知られる。ESPNや『スポーツ・イラストレイテッド』から2000年代10年間の "All-Decade team" 中堅手部門に選出されている〔Tim Kurkjian, "Selecting the All-Decade team ," ''ESPN.com'', December 18, 2009. 2010年10月2日閲覧。〕〔Joe Posnanski, SI.com, "All-Decade Team: MLB ," ''SI.com'', December 9, 2009. 2010年10月3日閲覧。〕。
==経歴==

=== メジャー昇格まで ===
4人兄妹の次男で、上に兄が、下に2人の妹(双生児)がいる。野球を始めたのは5歳頃〔谷口輝世子 「独占インタビュー/ボンズを超える才能 カルロス・ベルトラン[ロイヤルズ]」 『月刊スラッガー』2004年8月号、日本スポーツ企画出版社、2004年、雑誌15509-8、26-28頁。〕。子供の頃は兄と共にアンディ・バンスライクのファンだったが、プエルトリコ出身のバーニー・ウィリアムスウィンターリーグで活躍するのを目の当たりにし、次第に2人ともウィリアムスに憧れを抱くようになっていった〔梅田香子 「スーパースター列伝/C・ベルトラン[メッツ]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年10月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-10、47-51頁。〕。ベルトランはウィリアムスについて「走攻守のすべてを兼ね備えていて、いつでも真摯な態度でゲームに臨む。ベースボールを尊敬していて、そして愛している。そんな彼こそが僕にとっては最大限の尊敬に値する」と話している〔杉浦大介 「インタビュー/カルロス・ベルトラン[メッツ] リベンジに燃える若き5ツール」 『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-6、40-41頁。〕。当時住んでいた家が「家というよりは小屋と呼んだ方がいいかもしれない。6人家族が住むには小さすぎる家だった」と語るベルトランは、メジャーリーガーになって両親に立派な家をプレゼントするという夢を持つようになった〔。
高校入学後、15歳で遊撃手から中堅手へ転向したベルトランは、スカウトからも注目される選手になっていく〔。また野球以外にバレーボールでも活躍していたが、17歳のときに父親から「バレーボールもなかなかだが、野球で大金を稼げる才能を授かったな」と言われてからは、野球一本に絞っている〔Jeff Pearlman and Stephen Cannellam, "Baseball ," ''SI Vault'', May 31, 1999. 2010年10月2日閲覧。〕。MLBのトライアウトに20回以上参加したベルトランは、複数のスカウトからドラフト1巡目レベルとの高評価を受けた。しかしのドラフト直前、腰の筋肉を痛めたという情報が漏れたため、結局ドラフトではカンザスシティ・ロイヤルズからの2巡目(全体49位)指名となった〔福島良一 「明日のスーパースターを目指すニューウェーブたち」 『月刊メジャー・リーグ』1999年6月号、ベースボール・マガジン社、1999年、雑誌08625-6、48頁。〕。
6月5日にロイヤルズと契約したベルトランは、マイナーリーグ最下層のルーキー級に配属されることになり、故郷プエルトリコを離れアメリカ合衆国本土のフロリダ州へと向かう。ガルフ・コーストリーグでプロデビューした1年目は、52試合で打率.278を記録。ただ、シャイな性格の持ち主であることや言葉が通じないことなどから、ホームシックにかかった〔。後に彼の妻となるジェシカによると、プエルトリコにいたときは無口だったベルトランが、本土へ行ってからは彼女に毎日、それも「1日に20回はあったかと思ってしまうくらい」電話をかけるようになったという〔Anthony McCarron, Daily News Sports Writer, "HAPPY HOME. Beltran has found his place in big city ," ''NY Daily News'', September 3, 2006. 2010年10月3日閲覧。〕。シーズン終了後プエルトリコに戻り、ウィンターリーグに参加。そこで憧れのバーニー・ウィリアムスと出会う。ウィリアムスはベルトランに「実力はあるんだから、努力を怠るなよ」とアドバイスした〔Anthony McCarron, Daily News Sports Writer, "BELTRAN A CHIP OFF THE CLIPPER ," ''NY Daily News'', August 18 1999. 2010年10月2日閲覧。〕。
、右打ちからスイッチヒッターへ転向。「このままではいけないな」と考えてのことだったが、「タイミングを狂わされないようにするというのが難しかった」と振り返るように左打席で苦しんだシーズンとなり、シーズン終了後はプエルトリコでも左打席での打撃を特訓する〔。
、Adv-A級ウィルミントンで11本塁打のうち10本を左打席から放ち、スイッチヒッターとして成長を見せた〔。また、守備については広い守備範囲と強肩が高く評価されている〔。
にはシーズン途中でAdv-A級ウィルミントンからAA級ウィチタに昇格。2クラス合計で99試合に出場し、打率.313・19本塁打・76打点・18盗塁OPS.948という好成績を残した。マイナーリーグのシーズンが終了した9月にメジャーへ昇格した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルロス・ベルトラン」の詳細全文を読む




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