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カルロ・アルベルト・ピッツィーニ : ミニ英和和英辞書
カルロ・アルベルト・ピッツィーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カルロ・アルベルト・ピッツィーニ : ウィキペディア日本語版
カルロ・アルベルト・ピッツィーニ[ちょうおん]

カルロ・アルベルト・ピッツィーニ(''Carlo Alberto Pizzini''、1905年3月22日 - 1981年9月8日)は、イタリア作曲家指揮者
ローマ出身。聖チェチーリア音楽院オットリーノ・レスピーギに学んだ。さらにピエトロ・マスカーニの知遇を得て師事した。在学中から指揮者として活動し、また1923年からイタリア著作者出版者協会の会員となった。1942年には聖チェチーリア音楽院の教員に就任した。1966年からはボローニャ音楽院の教壇にも立ち、1973年には聖チェチーリア音楽院の副学長に選出された。
また1945年からはイタリア放送協会(RAI)の音楽監督となり、RAI国立交響楽団を率いてローマ、ミラノトリノウィーンブリュッセルモントリオールモナコ東京アテネテッサロニキエルサレムルガーノジュネーヴなど各地で指揮をした。1949年にはレジオンドヌール勲章を、1955年にはドイツ連邦共和国功労勲章を受章した。またジュネーブ国際音楽コンクールチャイコフスキー国際コンクールなどの審査員も務めた。
作品は室内楽曲、合唱曲、映画音楽付随音楽、ラジオ音楽、テレビ音楽などあらゆる分野にわたっている。管弦楽曲には交響的三部作「ピエモンテ」、オルガンと弦楽オーケストラのための「アンダンテ」、ギター協奏曲「三姉妹」、「アテネ序曲」などがある。
== 参考文献 ==

* Jozef Robijns, Miep Zijlstra: ''Algemene muziekencyclopedie'', Haarlem: De Haan, (1979)-1984, ISBN 978-90-228-4930-9
* Lamberto Trezzini: ''Due secoli di vita musicale storia del teatro comunale di Bologna'', Seconda edizione, Nuova Alfa Editoriale, 1987, 362 p.
* Attilio Cimbro: ''"Al Piemonte"'' in: Rassegna Dorica, februari 1941
* Carlo Schmidl: ''Dizionario universale dei musicisti : Supplemento'', Milan: Sonzogno, 1938, 806 p.

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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