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カルロ・マルテッロ・ダンジョ(, 1271年9月8日 - 1295年8月12日)は、ハンガリー王位請求者。ハンガリー語名でアニョウ・マルテル・カーロイ()、フランス語名でシャルル・マルテル・ダンジュー()とも呼ばれる。アンジョ=シチリア家の分枝の一つでハンガリー王家となったアンジュー=ハンガリー家の祖である。 == 生涯 == 1271年、ナポリ王カルロ2世の長男として生まれる。母はハンガリー王女マリア(イシュトヴァーン5世の次女)。また、父方の叔母は、母マリアの弟であるラースロー4世の妃であった。 1281年にドイツ王ルドルフ1世の五女と結婚し、1男2女を儲けた(イタリア語名/ハンガリー語名の順に記す)。 * カルロ・ロベルト/カーロイ・ローベルト(1288年 - 1342年) - ハンガリー王カーロイ1世 * (1290年 - 1343年) - ドーファン・ド・ヴィエノワ妃 * クレメンツァ/クレメンツィア(1293年 - 1328年) - フランス王ルイ10世妃 1290年に叔父のラースロー4世が暗殺されると、アンドラーシュ3世の即位を認めず、自身の王位継承を主張して名目上のハンガリー王を称した。カルロ・マルテッロの王位は十字軍の派兵を条件にして、教皇ニコラウス4世によって承認された。しかし1295年、アンドラーシュ3世より先に23歳で早世した。 1301年にアンドラーシュ3世が死去してアールパード朝が断絶した後、ハンガリー王位はアールパード家の女系子孫たちによって争われ、最終的に息子カルロ・ロベルトが正式な戴冠を果たした(カーロイ1世)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カルロ・マルテッロ・ダンジョ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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