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カール・ヤストレムスキー(Carl Michael Yastrzemski, 1939年8月22日 - )はメジャーリーグの元選手(外野手)。 23年間の現役時代すべてをボストン・レッドソックスに所属。1967年に三冠王を達成。それ以来2012年にミゲル・カブレラが三冠王を獲得するまで45年間三冠王は現れず「最後の三冠王」と呼ばれていた。 == 来歴 == ニューヨーク州サウザンプトンにてポーランド系の家庭に生まれる。愛称「Yaz」の名で親しまれた。子供時代は当然のようにヤンキースファンで、ヤンキースでプレイする事を夢見ていたが、スター選手が並ぶヤンキースでは出場機会も少ないのではないかと考え、ライバルであるボストン・レッドソックスへ入団した。 1961年にメジャーリーグデビューを果たし、1963年に打率.321で首位打者。1967年には打率.326、44本塁打、121打点で三冠王を獲得。 1967年のレッドソックスは前年のアメリカン・リーグ9位から一気に1位に躍り出ることに成功し、「インポッシブル・ドリーム」と称された。しかしワールドシリーズではセントルイス・カージナルスに3勝4敗で敗れ、1918年以来のシリーズ制覇はならなかった。 1968年には打率.301で、メジャーリーグ史上最も低い打率での首位打者となる。タイトルを獲得できなかったシーズンでも、多くの部門で常に上位につける確実な活躍を見せつづけた。 1975年に再びワールドシリーズに駒を進めるが、シンシナティ・レッズの前に再び3勝4敗で敗れる。 40歳を越えても懸命なトレーニングを行うなどして、現役生活は1983年まで、実働23年に及んだ。オールスター出場18回を記録。左翼手としての守備も高く評価され、ゴールドグラブ賞にも7回選出されている。通算成績は3308試合出場(史上2位)、3419安打(史上6位)、452本塁打、1844打点、打率.285、1845四球(史上6位)。引退した1983年当時では、アメリカン・リーグの在籍のみで3000本安打と400本塁打を記録した唯一の選手となる(2010年現在ではカル・リプケンもこの記録を達成している)。 1989年に有資格1年目でアメリカ野球殿堂入り。現役時代に変わらずつけていた背番号8はレッドソックスの永久欠番となっている。 2012年、デトロイト・タイガースのミゲル・カブレラが45年ぶりに三冠王を達成し、「最後の三冠王」の名前を返上することになった。ミゲル・カブレラについて「チームを地区優勝に導く中で達成したことを祝福したい。私もリーグ優勝したレッドソックスの一員として達成できて、幸せだった」と話し、祝福した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・ヤストレムスキー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carl Yastrzemski 」があります。 スポンサード リンク
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