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カレリア地峡(カレリアちきょう、、、)は、ロシア西北部レニングラード州付近、カレリア地方の地峡。西部をフィンランド湾、東部はラドガ湖にはさまれており、南部にはネヴァ川が走っている。北端をフィンランドのサルパウセルカ連峰と接しており、この地域が一番幅が大きい。これに対して最も狭いヴィボルグ沿岸からラドガ湖の間の距離は45kmである。面積はおおよそ1万5千平方kmである。 一番狭い地域は南東部になっている。昔はイングリアの北部地域であり、むしろイングリアの北部が地峡であるともいえる。この地域は領有国が何度も変わった。フィンランドや北方地域がスウェーデン領であった時代にはこの地域が露瑞国境であり、地峡はフィンランドカレリア地方に組み込まれていた。その後大北方戦争で1712年にロシア・ツァーリ国が占領し、1721年にロシア帝国の成立によってカレリア地峡は正式にロシア領となった。そして1809年にはロシア宗主下のフィンランド大公国の一部となった。その後、ロシアで十月革命が起こるとその混乱の中フィンランドは独立し、カレリア地峡はソビエト連邦からフィンランドに譲渡された。しかしこの後にソ連はこの地峡の領有を求め、冬戦争でフィンランドがソ連に譲渡。束の間の平和の後で継続戦争初期にフィンランドが地峡を取り返したものの、敗戦を経てこの地峡はソ連領になった。戦後はサンクトペテルブルク以外の地峡を分け、カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国の一部にした。 2002年全ロシア国勢調査では、カレリア地峡に住む住民は53万9千人とされる。サンクトペテルブルクの住民は休暇に地峡に訪れる。 == 地理・自然 == カレリア地峡の地形は最終氷期の氷河作用に大きな影響を受けている。最高地点はレンボロボ高地のモレーンの近郊で海抜205mである。地峡には山はないが、急峻な陸が幾つか見られる。 地峡で最大の川はヴオクシ川(ヴオクサ川)である。フィンランドのサイマー湖から南東に向けラドガ湖に流れ込んでおり、地峡を二つの地域に隔てている。1856年にはサイマー運河が建設され、サイマー湖とヴィボルグ湾の間を結んでいる。 カレリア地峡はスカンディナヴィアとロシアのタイガの自然境界になっている。植物地理学的には全北植物区、亜寒帯植物区であり、中央ヨーロッパ植物区、東部ヨーロッパ植物区、北部ヨーロッパ植物区の接点になっている。 湖が非常に多く多くの湖の近くは草の少ない荒地でありミズゴケの生えた泥炭地となっている。沼地も領域の5.5%程度を占める面積になっている。沼地は地峡南東のラドガ湖沿岸にまとまっており、泥炭地はもう少し多くの場所で見られる。ネヴァ川近郊は水を捌いた低地となっている。土地はポドソルになっており、巨礫が固まっている。特に北部や北西部ではその傾向が強く、大きな花崗岩が露出している。 地峡はヨーロッパアカマツ、オウシュウトウヒ、ヨーロッパシラカバ等の森で覆われている。森林はおおよそ11,700平方kmを覆っており、これは地峡の3分の4程度にあたる。構成としてはマツの森が51%と最も多く、次いでトウヒの森が29%、カバの森が16%程度になっている。その他にもノルウェーカエデ、ブラックアルダー、グレーアルダー、ヤマナラシ、ヨーロッパナラ、フユボダイジュ、ヤナギ類、ニレ類なども生えている。また、それぞれの森ごとに植生が少しずつ違う。 マツの森ではカルーナ、ガンコウラン、セイヨウネズ、ユスラバヤナギ、リンゴベリー、ミズドクサ、ワラビ、コメススキやトナカイスゲ等イネ科の植物等の草が生え、タチハイゴケ、コサンカクミズゴケ、ミヤマミズゴケ、多様なハナゴケなどコケ類が良く見られる。 トウヒの森ではフサスギナ、コミヤマカタバミ、ビルベリー、リンゴベリー、コメススキやノガリヤスやトナカイスゲ等のイネ科植物等の草植物が生え、コケではウマスギゴケ、ホソミズバゴケなどのコケ類が良く見られる。 カバの森ではセイヨウナツユキソウ、コミヤマカタバミ、ビルベリー、ノガリヤスやその他イネ科の植物が良く見られる。 カレリア地峡では1184種の維管束植物が確認されている。また、キタリス、ヘラジカ、アカギツネ、ユキウサギ、イノシシなどが多く生息している 年間平均降水量は年に650-800mmであり、長い冬に多くの雪が降る。冬は11月から4月中旬まで続き、最低気温は-40℃に達することもある。夏は短く、非常に涼しく、霜の降りない日は少ない。サンクトペテルブルクの近郊ではフィンランド湾の海流の影響で冬の厳しさは若干和らぐが、その代わりに長く続く。 地峡の大都市ヴィボルグとプリオゼルスクはいずれも北西部に固まっている。 カレリア地峡は行楽に良く、ハイキング、サイクリング、スキー、ロッククライミング、カヌー、釣り、きのこ狩り、野いちご摘み等が行われる。これらの休暇敢行は19世紀からサンクトペテルブルクの住民に人気である。スキーはコロヴィツノ、カフゴロヴォが有名であり、ロッククライミングではクズネチノエ近郊、カヌーはロセヴォ近郊が有名である。魚釣りでは多くの人が捕まえた魚を調理して楽しむ。川ではコイダイ、ノーザンパイク、ローチ、 ヨーロピアンパーチ、アセリナ、イソアイナメ等が釣れる。きのこ狩りではヤマドリタケ、アカエノキンチャヤマイグチ、ヤマイグチ、''Suillus variegatus''、ヌメリイグチ、アンズタケ類、''Lactarius resimus''、カラハツタケ、ウグイスチャチチタケ、''Lactarius deliciosus''、アカチチタケ、ベニタケ類などが取れる。野いちご摘みではビルベリー、ラズベリー、エゾヘビイチゴ、コケモモ、クランベリー、ホロムイイチゴ、クロマメノキ、ルブス・サクサティリス等を摘むことができる。カレリア地峡は非常に豊かといえる。 交通にはフィンランドスキー鉄道駅が役立っている。サンクトペテルブルク-ヴィボルグ間、サンクトペテルブルク-プリオゼルスク間の鉄道沿いに別荘を持つ人も多い。 カレリア共和国とヴィボルグスキー県から西に20-35km伸びるヴィボルグ-ハイトラ鉄道が通っている。ヴィボルグ湾とその島々から伸びており、厳密には国境警備地域を通り、ラドガ湖、ハイトラに伸びている。1993年から2006年にかけては国境警備区は5kmの幅であり、鉄道線はこの幅の中に入っていた。ロシア連邦保安庁(FSB)によって発行された通行許可証がなければこの地域を訪れることはできなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カレリア地峡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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