翻訳と辞書
Words near each other
・ カレル・アンチェル
・ カレル・アンチェルル
・ カレル・カプラン
・ カレル・カールス
・ カレル・クラマーシュ
・ カレル・ケヘル
・ カレル・コデシュカ
・ カレル・コムザーク2世
・ カレル・サビナ
・ カレル・サーニー
カレル・シェイナ
・ カレル・シュテクリー
・ カレル・シュワルツェンベルク
・ カレル・シュワルツェンベルグ
・ カレル・シュヴァルツェンベルク
・ カレル・スタミツ
・ カレル・ストルイケン
・ カレル・スヴォボダ
・ カレル・ゼマン
・ カレル・ゼレンカ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カレル・シェイナ : ウィキペディア日本語版
カレル・シェイナ

カレル・シェイナ(Karel Šejna, 1896年11月1日 - 1982年12月17日)は、チェココントラバス奏者、指揮者である。ながくチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者をつとめた。
== 生涯 ==
プラハ音楽院の学生時代、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(以下、チェコpoと略記)に加入、1921年に同楽団の主席コントラバス奏者に指名され、その後すぐ1922年7月25日プラハの「Žofín Palace」での演奏会で指揮台にも立った。
当時のチェコpoの首席指揮者ヴァーツラフ・ターリヒの勧めで指揮活動を始める。シェイナを信頼してさらに困難な仕事を任せるようになったターリヒは、チェコスロヴァキア鉄道労働者交響楽団 (Czechoslovak Railway Workers Symphony Orchestra) の指揮者の地位に彼を推薦した。1925年から1936年までそのアマチュア楽団の指揮者として過ごすとともに、1926年から1938年まではフラホル合唱団 (Hlahol Choir) の合唱指揮者としても活動した。
1938年からはチェコpoの副指揮者として活動し、数百回の公演で指揮棒を振った。彼が1965年に退団するまで、同楽団の首席指揮者はターリヒ、クーベリックアンチェルへと変わっていった。その間、1948年に首席指揮者を務めていたクーベリックがイギリスへ亡命し、一時チェコpoの首席指揮者の後任が空白だった時期には、シェイナが首席指揮者に指名されていたことがある〔シェイナの経歴については、CD『モーツァルト交響曲第38番≪プラハ≫シューベルト交響曲第8番≪未完成≫』(スプラフォンコロンビア COCQ-84078)のライナーノートを参照。〕。
1960年功労芸術家の称号を得る。1972年2月11日、チェコpoとの最後の公演での演目は、マーラーの交響曲第4番だった。1982年プラハで死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カレル・シェイナ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.