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『カレワラ』(『カレヴァラ』) (Kalevala) はフィンランドの民族叙事詩。19世紀に医師エリアス・リョンロート(''Elias Lönnrot'', 1802年4月9日 - 1884年3月19日)によって民間説話からまとめられた。フィンランド語の文学のうち最も重要なもののうちの一つで、フィンランドを最終的に1917年のロシア帝国からの独立に導くのに多大な刺激を与えたとされている。名称は「英雄の地」の意。 リョンロートによる『カレワラ』は、1835年に2巻32章からなる叙事詩として出版され、当時の知識人階級に大きな衝撃を与えた。その後、それを増補し、1849年には全50章からなる最終版として出版した。 フィンランドの作曲家、特にジャン・シベリウスなどは、『カレワラ』に影響を受けた音楽を多数作曲している。 == 成立の過程 == フィンランドに独特の伝説や伝承が多数存在することは17世紀ころから知られ始め、18世紀には多くの研究が行われるようになった。1809年、フィンランドがロシア帝国に編入されたことを契機に民族意識が高まり、民族に特有の伝承が、固有の文化として認識されるようになった。 そうした中、エリアス・リョンロートがこの分野の研究を始めた。まず1827年に「ワイナミョイネン・古代フィン人の神格」という論文を発表。その頃から民族詩の採集旅行を行った。何度かの旅行の後、北フィンランドのカヤーニに医師として赴任、そこを本拠地に歌謡の収集を精力的に行った。1833年、アルハンゲリスクのブオッキニエミで大量の歌謡を採集した。これによってサンポにまつわる物語の大部分がそろい、彼はこれにレンミンカイネンの物語と結婚歌謡をまとめ、「ワイナミョイネンの民詩集」として発表した。これは後に「原カレワラ」と呼ばれるようになった。 彼は翌年もその地を訪れて多くの歌謡を収集し、原カレワラを補修改訂して「カレワラ・フィンランド民族太古よりの古代カレリア民詩」を発表(1835年)、これは「古カレワラ」と言われる。彼はその後、調査地域を広げ、ラップランドや南カレリア、イングリアなどからも民詩を採集、それまでのものを見直し、拡充して「新カレワラ」を1849年に発表した。これが現在カレワラとして知られているものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カレワラ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kalevala 」があります。 スポンサード リンク
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