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カロヤン・アセン
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カロヤン・アセン
カロヤン・アセン(、1168年もしくは1169年 - 1207年10月)は、第二次ブルガリア帝国の皇帝(ツァール、在位1197年 - 1207年)。第二次ブルガリア帝国の建国者であるペタル4世との弟。ブルガリア皇帝の権力と帝国の地位を向上させ〔ディミトロフ、イスーソフ、ショポフ『ブルガリア 1』、88頁〕、十字軍国家・ラテン帝国との戦争で成功を収めた。 == 名前の由来 == 「カロヤン( ラテン語:Caloiohannes)」という名は「善良なヨハネ」もしくは「寛大なヨハネ」を意味する。この名前はギリシャ語の''Kaloiōannēs''から派生し、コムネノス王朝のヨハネス2世ら東ローマ帝国の皇帝もこの名前を使用していた。また、カロヤンは「イヴァン」「ヨアン」〔「イヴァン(Ivan)」「ヨアン(Ioan)」いずれの人名も英語の''John''に相当する。〕の指小語である「ヨアニッツァ(Ioannitsa)」の名前でも呼ばれた。現代のルーマニアの歴史家は、''Ioniţă Caloian''という名前で彼を表記している〔http://books.google.com/books?id=HSkzAAAAMAAJ&q=Ioni%C5%A3%C4%83+Caloian&dq=Ioni%C5%A3%C4%83+Caloian&hl=en&ei=7JRUTti4IpLR4QSdwOiEBw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=7&ved=0CEEQ6AEwBg〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カロヤン・アセン」の詳細全文を読む
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