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カロリング小文字体(カロリングこもじたい)またはカロリング体とは、ヨーロッパにおけるカリグラフィーの標準として発達した書体である。これにより、ラテン文字を使用する異なる地域の識字階層の意志疎通が容易になった。カロリング小文字体は、西暦800年から1200年ごろにかけて、神聖ローマ帝国で使われた。コデックス、非キリスト教、キリスト教のテキストに使われ、カロリング・ルネサンスを通じてカロリング小文字体で教育書が書かれた。この書体はブラックレターに発展し使われなくなったが、イタリア・ルネサンスで復興され、近代の書体の基本になった。 ==発生== カロリング小文字体の起源はローマの半アンシャルとその筆記体にさかのぼる。これら書体はヨーロッパ大陸でさまざまな小文字書体を生んだ。またアイルランドとイングランドの修道院で使われたインシュラー体の特徴も受けついでいる。 カロリング小文字体の発生は、部分的にはカール大帝の庇護の元で行われた。カール大帝は教育に大きな興味を示しており、その伝記を記したアインハルトによると、 Temptabat et scribere tabulasque et codicellos ad hoc in lecto sub cervicalibus circumferre solebat, ut, cum vacuum tempus esset, manum litteris effigiendis adsuesceret, sed parum successit labor praeposterus ac sero inchoatus. カール大帝自身は完全に読み書きできるようにならなかったが、識字の価値と、彼の帝国内で統一した書体を用いることの意味を理解していた。カール大帝はイングランドの学者アルクィンを宮廷の学校と、当時の首都であったアーヘンの写字室の経営のために招いた。当時は、メロヴィング体とドイツ体をカロリング体に置きかえる努力が払われている最中であった。アルクィンは782年から796年まで、2年間の休暇を除いてアーヘンの指導者をつとめた。新しい小文字体は初めアーヘンから広まった。アダ福音書がその典型である。796年にアルクィンが宮廷の勤務から退いて、トゥールのマルムーティエ修道院の修道院長として写字室の再建を行うと、そこが影響の強い写字室になった〔 がトゥールの写字室の作品を再構している〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カロリング小文字体」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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