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カロ・パリシアン : ミニ英和和英辞書
カロ・パリシアン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カロ・パリシアン ( リダイレクト:カロ・パリジャン ) : ウィキペディア日本語版
カロ・パリジャン

カロ・パリジャンKaro Parisyan1982年8月28日 - )は、アルメニア男性総合格闘家エレバン出身。アメリカ合衆国カリフォルニア州在住。ジャクソンズMMA所属。柔道黒帯。ブラジリアン柔術黒帯。元WEC世界ウェルター級王者。カロ・パリーシャンとも表記される。
試合では一本背負い大外刈り内股払い腰などの柔道の投げ技を多用し、一際異彩を放っている。気の強さを前面に押し出したファイトスタイルを有する。
総合格闘家のマニー・ガンブリャンは従兄弟。
== 来歴 ==
6歳のときに、家族と共にアルメニアからアメリカのカリフォルニア州へ移住。
9歳からゴーコージムで同じアルメニア系であるゴーコー・シヴィシアンに柔道を習い始め、14歳でプロ総合格闘技デビュー。
2003年9月26日、UFC初参戦となったUFC 44でデイブ・ストラッサーと対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ち。
2004年5月21日、WEC 10の世界ウェルター級タイトルマッチでショーニー・カーターと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、UFCに専念するため同王座を返上した。
2006年8月17日、UFC Fight Night 6ディエゴ・サンチェスと対戦し、0-3の判定負け。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。なお、この試合ではサンチェスの膝蹴りでパリジャンの前歯が吹き飛ぶ場面があった。
2007年11月17日、UFC 78長南亮と対戦し、3-0の判定勝ち。
2008年9月6日、UFC 88吉田善行と対戦予定であったが、自身の背中負傷により欠場となった。欠場発表は前日の計量終了後に正式発表された。
2009年1月31日、UFC 94キム・ドンヒョンに2-1の判定勝ちを収めるも、後に禁止されている鎮痛剤(ヒドロコドンヒドロモルフォンオキシモルホン)を使用していたことが発覚し〔PARISYAN TESTS POSITIVE; REVEALED MEDS PREFIGHT MMA Weekly 2009年2月10日〕、ノーコンテストに裁定変更となり9か月間の出場停止と32,000ドルの罰金を科せられた〔Parisyan Suspended Nine Months SHERDOG 2009年3月17日〕。11月21日、UFC 106ダスティン・ヘイズレットと対戦予定であったが、欠場となった〔Update: Licensed Parisyan Out of UFC 106 SHERDOG 2009年11月19日〕。
2010年7月10日、Impact FC旗揚げ戦でベン・モルティマーと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。
2010年11月20日、UFC復帰戦となったUFC 123デニス・ホールマンと対戦し、右フックでダウンしたところにパウンドで追撃されTKO負けを喫した〔【UFC123】ホールマン快勝、一発でパリジャンを腰砕けに MMAPLANET 2010年11月21日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カロ・パリジャン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Karo Parisyan 」があります。




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