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カンバーランド教会の戦い : ミニ英和和英辞書
カンバーランド教会の戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
教会 : [きょうかい]
 【名詞】 1. church 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

カンバーランド教会の戦い : ウィキペディア日本語版
カンバーランド教会の戦い[たたかい]

カンバーランド教会の戦い(カンバーランドきょうかいのたたかい、)は、南北戦争も最終盤となった1865年4月7日に、バージニア州カンバーランド郡のファームビル近くで起きたアポマトックス方面作戦の戦闘である。北軍ポトマック軍第2軍団南軍北バージニア軍と戦った。
4月6日に起きたセイラーズクリークの戦いの後、南軍リチャード・H・アンダーソン中将とジョン・B・ゴードン少将の残存部隊が、アポマトックス川に架かる二重構造の橋、ハイブリッジに向かっていた。この橋は上が鉄道橋、下が荷車用道路橋になっていた。この部隊は川の北岸に渡って、その後に西への撤退を続けようとしていた。南軍はその前の日のハイブリッジの戦いで橋を救うために戦ったが、自軍が渡ってしまったこのときは橋を壊す考えだった。しかし、誤りや遅れが生じたために、北軍アンドリュー・A・ハンフリーズ少将の第2軍団が橋の袂に到着し始めるまで破壊を始められないでいた。ハイブリッジの戦いの第2段階となる小さな戦闘が起きた後、北軍は鉄道橋の全体的な破壊を食い止め、荷車用橋は利用できる形で確保できた。
ハンフリーズの部隊は、南軍の行軍している最後の師団であるウィリアム・マホーン少将の師団を、西へ4マイル (6.4 km)、ファームビルの北3マイル (4.8 km) であるカンバーランド教会まで追撃した。南軍は教会の周りの高台に防御的な配置を始めた。それから間もなく、ジェイムズ・ロングストリート中将の下に残っていた南軍歩兵部隊の全軍がファームビルから来てマホーン隊と合流した。ロングストリート隊はファームビルを発った後に鉄道と荷車の橋を燃やしていた。後に残されていた南軍の騎兵隊と歩兵1個旅団はその近くで川を歩いて渡るしかなかった。
カンバーランド教会に来る途中の戦闘で、トマス・A・スミス准将が致命傷を負った後、北軍のハンフリーズはマホーン隊の直ぐ後で教会近くに到着していた2個師団に南軍の前線を攻撃するよう命じた。ハンフリーズは南軍の陣地があまりに強力でこれを落とせないと判断し、フランシス・C・バーロー准将を呼び戻した。その師団はゴードンの軍団を追って真っ直ぐファームビルに向かっているところだった。ハンフリーズはさらにポトマック軍指揮官のジョージ・ミード少将に、ロバート・E・リーの全軍が川の北にいるという伝言を送った。その南軍全軍と戦うために援軍を送って欲しい旨提案していた。南軍がファームビルの橋を壊していたことを、その時はハンフリーズもミードも知らず、従ってその日の午後に援軍がハンフリーズの元には着かないことが分かっていなかった。
ハンフリーズは、近くで起きた騎兵隊の戦闘が、リーの歩兵部隊と戦うための援軍が到着したものと誤解し、新たな攻撃を命じたがこれも南軍に撃退された。騎兵同士の戦闘でJ・アービン・グレッグ大佐(名誉准将)が南軍に捕まった。ハンフリーズは、早急に援軍を得られず、夜が近づいていたので、それ以上の攻撃は命じなかった。カンバーランド教会の戦いで、第2軍団は少なくとも571名の損失を出し、ファームビルの戦いと呼ばれることもある騎兵の戦闘では74名の損失を出した。南軍の損失は不明だが、北軍の出した損失の半分程度と推計されている。アメリカ合衆国国立公園局はその数字を255名としている。
ロバート・E・リー将軍は北軍がカンバーランド教会の自軍の近くまで来ていることを理解し、その夜11時ごろに、前夜に続いてさらに西への行軍を続けさせることにした。南軍はカンバーランド教会で北軍を追い返し、その時の損失も小さかったが、南軍の動きは遅れており、そのためにアポマトックス川の南岸にいる北軍が南軍を追い越してアポマトックス・コートハウスに至って遮断し、そこで次のの戦闘になった。
== 背景 ==

=== セイラーズクリークからの後退 ===
サウスサイド鉄道はファームビルの近くで急勾配を躱す必要があったので、ファームビルの東、ライス駅から約6マイル (9.7 km) でハイブリッジを架けてアポマトックス川の南岸から北岸に渡していた〔Calkins, Chris. ''The Appomattox Campaign, March 29 – April 9, 1865''. Conshohocken, PA: Combined Books, 1997. ISBN 978-0-938-28954-8. p. 123〕。鉄道はハイブリッジからは北岸に沿って走り、南西4マイル (6.4 km) でファームビルに達していた〔。ファームビルで鉄道は川を渡って南岸に戻り、西に進んでいた〔。ファームビルの鉄道橋も隣接して荷車用橋があった〔Calkins, 1997, pp. 123–124.〕。
セイラーズクリークの戦いの後、南軍のリチャード・H・アンダーソン中将とジョン・B・ゴードン少将およびその軍団の残存兵は、サウスサイド鉄道のハイブリッジとその下にある荷車用橋に向かい、比較的安全と考えられるアポマトックス川の北岸に渡った〔Humphreys, Andrew A., ''The Virginia Campaign of 1864 and 1865: The Army of the Potomac and the Army of the James'' . New York: Charles Scribners' Sons, 1883. . Retrieved March 5, 2015. p. 386.〕。彼らが橋を渡った後に橋を壊そうとして北軍と戦って成功しなかった後、ゴードンとその部隊はハイブリッジの鉄道にそって進み、川の北岸を行き、ファームビルの橋で再び南岸に戻って食料を得てからすぐさま北岸に戻った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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