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カンバーランド砦の戦い : ミニ英和和英辞書
カンバーランド砦の戦い[かんばーらんどとりでのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [とりで]
 (n) fortress
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

カンバーランド砦の戦い : ウィキペディア日本語版
カンバーランド砦の戦い[かんばーらんどとりでのたたかい]

カンバーランド砦の戦い()は、アメリカ独立戦争中の1776年遅く、アメリカ独立推進派のジョナサン・エディが少数の民兵を率いてノバスコシアを味方に引き入れようとした試みである。エディはマサチューセッツ湾植民地からあまり兵站支援を得られないまま、400ないし500名の民兵とインディアンでノバスコシア中部(現在はノバスコシアとニューブランズウィック州の州境近く)のカンバーランド砦を囲み襲撃しようとした。
砦の守備隊はフレンチ・インディアン戦争の古参兵ジョセフ・ゴーラムが指揮するほとんどが地元植民地の民兵だったが、エディの数回にわたる襲撃を撃退し、最終的に11月29日に援軍が到着して包囲部隊を駆逐したときに解放された。包囲戦を支持した地元民に対する報復として多くの家屋や農場が破壊され、パトリオット(独立推進派)のシンパは地域から追い出された。カンバーランド砦を守り抜いたことで海洋国家イギリスの植民地は一体性が保たれ、ノバスコシアは戦争が終わるまでイギリス側に留まった。
== 背景 ==
アメリカ独立戦争の初期、ノバスコシアの守りは概して貧弱であり、東部で起こっている混乱によりアメリカ人が指導する暴動が起こる恐れがあった。1776年初期までにハリファックスに幾らかの援軍が到着したものの、植民地のフロンティア(辺境部)は少数の守備隊がいるだけだった〔Clarke, p. 12〕。
カンバーランド砦は現在のノバスコシア本島とニューブランズウィックを繋ぐチグネクト地峡にあった。この地域はそれ以前の時代にフランス植民地アカディアとイギリスの支配するノバスコシアとの間の紛争で戦略的に重要な地点だった。カンバーランド砦は当初1750年にフランスがボーセジュール砦として建設したものであり、脆弱な状態にあった。イギリスは1755年のボーセジュール砦の戦いでこの砦をフランスから奪い、七年戦争が終わった後は最小の守備隊を置くだけで、1768年には放棄されていた〔Clarke, p. 45〕。
1775年6月には既に、イギリス軍トマス・ゲイジ将軍の命令で、パトリオットの活動に対して植民地を守るためにジョセフ・ゴーラム大佐がノバスコシアの民兵とインディアンの部隊起ち上げに動いた〔Annual Report 1894, p. 332〕。1776年夏、砦に到着したゴーラムと200名のロイヤリスト(王党派)の守備隊は砦を防御できる状態にするためのできる限りのことをした〔Clarke, p. 113〕。しかしゴーラム隊は適切に補給されていたわけではなく、その兵士は食料から制服まであらゆるものが欠けていた〔Annual Report 1894, p. 361〕。さらに地元民は概してパトリオットの側に同情的であり、砦修復の援助を断り、砦の守備隊員を脱走させて戦力を削ぐ試みすらしていた〔〔Leamon, p. 89〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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