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カン沢 : ウィキペディア日本語版
カン沢[かん たく]

闞 沢(かん たく ? ~ 243年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家・儒学者。徳潤揚州会稽郡山陰県の人。『三国志書に列伝が立てられている。
== 生涯 ==
貧農の家に生まれたが、苦学して優れた学識を身に付け、郷里において名を知られるようになった。孝廉に推挙されて銭唐県長となり、次いで郴県令を務めた。やがて孫権驃騎将軍になると招聘を受け、西曹掾に任命された。
孫権の即位に伴い尚書となり、嘉禾年間には中書令に遷り、侍中を兼務した。嘉禾6年(237年)、孫和の講師となり、諸学や儀礼を教えた。赤烏5年(242年)に孫和が皇太子に立てられると、太子太傅を兼務して引き続き孫和の教育にあたった。闞沢は孫和と孫覇の二皇子のため、諸学説を勘案し注釈を施したものを教科書として授けた。
諸学に通じた闞沢であったが、中でも暦数に通暁していた。当時、呉で用いられていた乾象暦(後漢末の劉洪(りゅうこう)が作成)は暦と実際の季節の間に誤差が生じていた。そこで闞沢は『乾象暦注』を著して修正を加えた。この結果、乾象暦の誤差は解消され、呉の滅亡に至るまで用いられた。この他にも朝議で経典の解釈が問題になると、孫権は必ず闞沢に諮問した。
これらの儒学者としての功績により、都郷侯に封じられた。
赤烏6年(243年)冬に死去。孫権はその死を悼み、数日に渡り食事を摂ろうとしなかった。
謙虚で慎み深く、一度も他人の短所を口にする事が無く、宮廷の小役人に対してさえも礼儀を尽くし接した。容貌は威厳を欠いていたが、その深い見識には誰も及ばなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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