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カーデン・ロイド豆戦車 : ミニ英和和英辞書
カーデン・ロイド豆戦車[かーでんろいどまめせんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [まめ]
  1. (n,pref) (1) beans 2. peas 3. (2) (as a prefix) miniature 4. tiny 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦車 : [せんしゃ]
 【名詞】 1. tank (military vehicle) 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

カーデン・ロイド豆戦車 : ウィキペディア日本語版
カーデン・ロイド豆戦車[かーでんろいどまめせんしゃ]

カーデン・ロイド豆戦車(Carden-Loyd tankette)は、イギリス第二次世界大戦前の豆戦車で、戦間期に開発された。機関銃を装備したトラクターや牽引車と言うもので、軽戦車に満たないものであった。いくつかの国でライセンス生産され、それを元に様々な型のものが派生した。
== 開発 ==
より大きな戦車の「斥候」などとして活動できるような、ごく小型で速度重視の装軌車両の構想は、第一次世界大戦終結直後からあった。
また、イギリス陸軍は、A1E1 インディペンデント重戦車のような多砲塔戦車の研究を進めており、当然ながら大型で高価な戦車となる。そうした中、ハイ・ローミックスのローを担う、あるいは多砲塔戦車を戦艦に喩えて(そもそもイギリスにおける戦車開発は、陸上軍艦:Landshipを出発点としている)、これに随伴する巡洋艦駆逐艦的な存在としての小型戦車のニーズが生まれた。
そうしたなか、イギリス陸軍少佐(後の中将)サー・ギフォード・Q・マーテルは、個人的に、自宅ガレージで自動車部品などの様々な廃品から1人乗りの小さな戦車を作り上げた。このモーリス・マーテル豆戦車(Morris-Martel Tankette)は中古のマクスウェル社エンジンやフォード・トラックの車軸などを流用したもので、特別に作られたのはロードレス・トラクション社による履帯だけだった。自動車のステアリングと幅広の履帯をそなえたハーフトラック形式だが、一般のハーフトラックと違い、履帯が前側、車輪が後ろ側だった。操縦士の肩と頭部はむき出しで上部構造も木製のままだった。
1925年にお披露目されたこの1人乗りの車両は「歩兵を機械化する」手段としてリデル・ハートを含む人々の注目を浴び、兵器局もその改良型の生産を認めた。改良型はモーリス社の手により1926年3月に最初の車輌が完成した。2tあまりの車体に16馬力のモーリス製エンジンを積んだ車輌で4輌が製作された。この内、3輌が1人乗りで、1輌が2人乗りであった〔1人乗り2輌、2人乗り2輌とする資料もある〕。1人乗りのタイプは、操縦と射撃を同時に行うことができない点が問題となって後に放棄されることとなる。
こうした流れの一方で、同じく歩兵機械化の課題に取り組んでいたのが、ロンドンでパートナーのヴィヴィアン・ロイドとともに車両設計のガレージメーカーを開いていたサー・ジョン・カーデンであった。カーデン設計の豆戦車は、当時、多数生産されており安価に入手・整備が可能であったT型フォードのエンジンを用いたものだった。カーデンは兵器局に自らのデザインを売り込み、その結果、1926年末にはカーデン・ロイドとモーリス・マーテルの両者8輌ずつが「タンケッティ(豆戦車)」の名の下に新たに作られて、ともに実験機械化部隊で試された。
試験運用ではモーリス・マーテルの車両の優秀性が指摘されたものの、この時点でモーリス社は商用車などの生産に注力するため手を引くことになった。マーテルはその後クロスレイ・モーターズと組み、シトロエン・ケグレス方式のサスペンションとゴム製履帯を持つ(しかしやはり後方車輪式の)ハーフトラック形式のクロスレイ・マーテル豆戦車を製作したが、後方配置のエンジンが砂塵を吸い込むこと、サスペンションの過負荷などから、それ以上の開発は行われなかった。
その結果この種の車両としては、カーデン・ロイドが残ることになった。ただし、その後の機械化部隊での試験に基づき、インディペンデント重戦車の装備化は実行されず、随伴する小型戦車は不要となった。また、もともと構想されていた斥候・偵察任務は、より車格の大きな軽戦車に割り振られることになり、カーデン・ロイドの車両は「マシンガン・キャリア(機銃運搬車)」と位置付けられることになる。しかし、その後も輸出向けには、豆戦車の名は使われた。
こうした試験的運用の中で、カーデン・ロイドの車両自体も試行錯誤を重ね、1928年、集大成とも言えるカーデン・ロイドMk.VIが誕生した。それまでのカーデン・ロイドの車両は、装軌式と、装輪・装軌切り替え式が並行して試されていたが、Mk.VIでは結局、装軌式のみに落ちついた。Mk.VIは偵察車両と機関銃運搬車として、カーデン・ロイド豆戦車シリーズにおける最終発展形態となり、様々な派生型が誕生した。
しかし偵察任務にも、機関銃運搬や砲・物資の牽引用としても、この車格は小さすぎ、この後、ヴィッカース・カーデン・ロイドの開発は、砲塔(銃塔)を持つ軽戦車系列と、積載量や牽引量を増したキャリア系列の2種に分岐することになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カーデン・ロイド豆戦車」の詳細全文を読む




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