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カーラ・ブラック(Cara Black, 1979年2月17日 - )は、ジンバブエ・ハラレ出身の女子プロテニス選手。2人の兄、バイロン・ブラックとウェイン・ブラックもプロテニス選手で、カーラは3人兄弟の末っ子である。ウィンブルドンを最も得意とする選手で、女子ダブルス部門で3勝を挙げ、2004年ウィンブルドンでは女子ダブルス・混合ダブルスの2部門を制覇した。WTAツアーでシングルス1勝、ダブルス54勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス31位、ダブルス1位。身長167cm、体重55kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 来歴 == ブラックの家族は、父親が1953年と1956年にウィンブルドン男子シングルス3回戦に進出した名選手で、自宅のアボカド農園の裏庭に4面の芝生コートを建設した。3人の兄弟はその中でテニスを習得し、末っ子のカーラも父親の手ほどきを受けた。ジュニア選手時代は、4大大会の女子ジュニア部門で1997年のウィンブルドンと全米オープンのシングルス優勝、全仏オープンとウィンブルドンのダブルス優勝があり、ウィンブルドンではジュニア部門の単複制覇を達成している。1998年1月にプロ入りし、この年の全仏オープンから4大大会の本戦に出場している。ブラックの4大大会シングルス自己最高成績は、2001年全仏オープンの4回戦進出である。この時はイタリアのフランチェスカ・スキアボーネに 6-7, 1-6 で敗れた。 カーラ・ブラックのダブルス優勝記録は、2000年1月のニュージーランド・オークランド大会から始まる。2001年9月の「トヨタ・プリンセス・カップ」では南アフリカのリーゼル・フーバーとペアを組み、決勝で杉山愛とキム・クライシュテルスの組を 6-1, 6-3 で破って優勝した。2002年の全仏オープン混合ダブルス部門で、次兄のウェイン・ブラックと組んで初優勝。2004年は彼女のテニス経歴を通じて最も充実した年となり、女子テニスツアー大会のダブルスで年間7勝を記録した。この年のウィンブルドンで、カーラ・ブラックはオーストラリアのレネ・スタブスとペアを組んだ女子ダブルスと、ウェインと組んだ混合ダブルスの2部門制覇を達成した。女子ダブルス決勝では、ブラック&スタブス組は杉山愛&リーゼル・フーバー組を 6-3, 7-6 で破って優勝している。2005年のウィンブルドンでは、カーラはフーバーとペアを組み、決勝でスベトラーナ・クズネツォワ&アメリ・モレスモ組を 6-2, 6-1 で破ってウィンブルドン女子ダブルス2連覇を達成した。 2007年の全豪オープン女子ダブルスで、ブラックとフーバーは台湾ペアの詹詠然&荘佳容組を 6-4, 6-7, 6-1 で破って優勝した。ウィンブルドンの女子ダブルス決勝では杉山愛&カタリナ・スレボトニク組を 3-6, 6-3, 6-2 の逆転で破り、ブラックはウィンブルドンの女子ダブルスで2年ぶり3度目の優勝を成し遂げた。 2008年、ブラックとフーバーは全米オープンで女子ダブルス初優勝を達成した。全米女子ダブルス決勝は、8年前の2000年に杉山愛&ジュリー・アラール=デキュジス組に敗れた準優勝以来の進出だった。8年ぶりの全米女子ダブルス決勝で、ブラックとフーバーはリサ・レイモンド&サマンサ・ストーサー組を 6-3, 7-6 で破った。ブラックは同大会の混合ダブルスでもリーンダー・パエス(インド)と組んで優勝し、女子ダブルス・混合ダブルスの2冠を獲得した。パエスとのペアで2010年全豪オープンと2010年ウィンブルドン選手権の混合ダブルスも制し、4大大会ダブルスでの通算優勝数は女子ダブルス5勝、混合ダブルス5勝の計10勝となった。 ブラックは2011年ウィンブルドン選手権を最後に公式試合出場から遠ざかり2012年4月に2005年に結婚した元オージーフットボール選手の間に長男を出産した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カーラ・ブラック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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