翻訳と辞書
Words near each other
・ カールトン・カーペンター
・ カールトン・ガーデン
・ カールトン・ガーデンズ
・ カールトン・キューズ
・ カールトン・ケニー
・ カールトン・コール
・ カールトン・センター
・ カールトン・バレット
・ カールトン・ヒル
・ カールトン・フィスク
カールトン・ライト
・ カールトン公園
・ カールトン半田
・ カールトン大学
・ カールトン庭園
・ カールトン郡
・ カールトン郡 (ミネソタ州)
・ カールトン鍛造所
・ カールハインツ
・ カールハインツ・シュトックハウゼン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カールトン・ライト : ミニ英和和英辞書
カールトン・ライト[かー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カールトン・ライト ( リダイレクト:カールトン・H・ライト ) : ウィキペディア日本語版
カールトン・H・ライト[かーるとんえいちらいと]

カールトン・ハーバート・ライトCarleton Herbert Wright, 1892年6月2日-1970年6月27日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は少将ガダルカナル島の戦い後期に起こったルンガ沖夜戦における、アメリカ海軍側の指揮官。本国に帰還後は、1944年7月17日に起こったポートシカゴの惨事の対応にあたった。
== 生涯 ==

===真珠湾攻撃まで===
カールトン・ハーバート・ライトは1892年6月2日、アイオワ州チカソー郡で生まれる。ライトは1912年に海軍兵学校(アナポリス)を卒業。卒業年次から「アナポリス1912年組」と呼称されたこの世代からは、他に潜水艦部隊を率いたチャールズ・A・ロックウッド海軍作戦部長になったルイス・デンフェルド太平洋艦隊参謀長を務めたチャールズ・ホレイショ・マクモリスソロモン諸島の戦いでの水上戦闘で活躍したアーロン・S・メリル、空母任務群を率いたアルフレッド・E・モントゴメリーやらを輩出した〔#谷光(2)序頁〕〔海軍兵学校(江田島)の卒業年次に換算すると、山口多聞宇垣纏福留繁大西瀧治郎らを輩出した40期に相当する(#谷光(2)序頁)。〕。ライトの成績は156名中16位というものだった〔他はモントゴメリーが29位、ラムゼーが125位でロックウッド、デンフェルド、マクモリス、メリルらの順位は不明(#谷光(2)序頁)。〕。
第一次世界大戦に参戦後、ライトはアイルランドクイーンズタウンに派遣された駆逐艦ジャーヴィス」 (''USS Jarvis, DD-38'') に乗り組み、船団護衛に従事する。次いで、北海を通って大西洋に出撃しようとするドイツUボートの通過を防ぐ機雷礁の構築作戦に参加した〔#Morison p.293〕。しかし、完了まであとわずかとなった時に大戦が終結した。大戦終結直後の1918年から1920年にかけては砲術研究学生課程を受講し、受講後は1935年まで様々な艦艇や陸上砲の砲術部門ポストおよび人事部門ポストを務める。1935年から1936年には第18駆逐隊司令となり、1941年までの間にはの所長などを歴任した〔。大佐に昇進後の1941年5月31日からは重巡洋艦オーガスタ」 (''USS Augusta, CA-31'') 艦長となり、そのポジションで真珠湾攻撃による第二次世界大戦参戦を迎えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カールトン・H・ライト」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carleton H. Wright 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.