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カールトン・ハーバート・ライト(Carleton Herbert Wright, 1892年6月2日-1970年6月27日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は少将。ガダルカナル島の戦い後期に起こったルンガ沖夜戦における、アメリカ海軍側の指揮官。本国に帰還後は、1944年7月17日に起こったポートシカゴの惨事の対応にあたった。 == 生涯 == ===真珠湾攻撃まで=== カールトン・ハーバート・ライトは1892年6月2日、アイオワ州チカソー郡で生まれる。ライトは1912年に海軍兵学校(アナポリス)を卒業。卒業年次から「アナポリス1912年組」と呼称されたこの世代からは、他に潜水艦部隊を率いたチャールズ・A・ロックウッド、海軍作戦部長になったルイス・デンフェルド、太平洋艦隊参謀長を務めたチャールズ・ホレイショ・マクモリス、ソロモン諸島の戦いでの水上戦闘で活躍したアーロン・S・メリル、空母任務群を率いたアルフレッド・E・モントゴメリーやらを輩出した〔#谷光(2)序頁〕〔海軍兵学校(江田島)の卒業年次に換算すると、山口多聞、宇垣纏、福留繁、大西瀧治郎らを輩出した40期に相当する(#谷光(2)序頁)。〕。ライトの成績は156名中16位というものだった〔他はモントゴメリーが29位、ラムゼーが125位でロックウッド、デンフェルド、マクモリス、メリルらの順位は不明(#谷光(2)序頁)。〕。 第一次世界大戦に参戦後、ライトはアイルランドのクイーンズタウンに派遣された駆逐艦「ジャーヴィス」 (''USS Jarvis, DD-38'') に乗り組み、船団護衛に従事する。次いで、北海を通って大西洋に出撃しようとするドイツUボートの通過を防ぐ機雷礁の構築作戦に参加した〔#Morison p.293〕。しかし、完了まであとわずかとなった時に大戦が終結した。大戦終結直後の1918年から1920年にかけては砲術研究学生課程を受講し、受講後は1935年まで様々な艦艇や陸上砲の砲術部門ポストおよび人事部門ポストを務める。1935年から1936年には第18駆逐隊司令となり、1941年までの間にはの所長などを歴任した〔。大佐に昇進後の1941年5月31日からは重巡洋艦「オーガスタ」 (''USS Augusta, CA-31'') 艦長となり、そのポジションで真珠湾攻撃による第二次世界大戦参戦を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カールトン・H・ライト」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carleton H. Wright 」があります。 スポンサード リンク
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