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カール・ウィルヘルム・シェーレ : ミニ英和和英辞書
カール・ウィルヘルム・シェーレ[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・ウィルヘルム・シェーレ ( リダイレクト:カール・ヴィルヘルム・シェーレ ) : ウィキペディア日本語版
カール・ヴィルヘルム・シェーレ[ちょうおん]

カール・ヴィルヘルム・シェーレ(Karl (または Carl) Wilhelm Scheele、1742年12月9日 - 1786年5月21日)はスウェーデン化学者薬学者。酸素ジョゼフ・プリーストリーとは別に発見したことで有名である。金属を中心とする多数の元素有機酸無機酸を発見している。現在の低温殺菌法に似た技法も開発していた。
当時スウェーデン領であったポメラニア地方のシュトラールズントに生まれた。14歳で薬剤師の徒弟として働き始め、その後も薬剤師としてストックホルムウプサラ、ケーピンなどで働いた。当時の薬剤師は薬品精製のために化学実験の装置をもっていたため、シェーレも化学に精通していた。多くの大学からの招聘にもかかわらず学者にはならず、ケーピンで没した。シェーレが若死にしたのは同時代の化学者の例に漏れず、危険な実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質を舐める癖があったため、毒性のある物質のにあたったのではともされる。
== 酸素と窒素の発見を逃す ==
1771年 - 1772年軟マンガン鉱を濃硫酸に溶かして加熱し、発生した気体を動物の膀胱で作った袋に蓄えた。ろうそくにこの気体を吹き付けると明るく輝くことを発見し、濃硫酸 (vitriol oil) の名前から「ビトリオル空気」(後に「火の空気」)と呼んだ。これが今で言う酸素である。酸化水銀(II)硝石を加熱からも同じ気体を回収している。1773年の時点で実験をすべて完了した。シェーレはこれらの実験結果を「は『火の空気』とフロギストンからなり、酸化水銀(II)の実験は熱によって『火の空気』が追い出される現象である」と解釈した。
さらに水素と空気燃焼実験により、「火の空気」が空気の約1/5の体積を占め、空気の主成分が「火の空気」ともう一種類の気体(窒素)であることも見出した。
シェーレの酸素の研究は、発見こそプリーストリーよりも早かったが、実験結果を著書『空気と火について』(''Chemische Abhandlung von der Luft und dem Feuer'') にまとめたのが1777年と遅かった。プリーストリーは酸素の発見論文を1775年に王立協会に提出しているため、現在では酸素の発見者はプリーストリーとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・ヴィルヘルム・シェーレ」の詳細全文を読む




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