|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ カー : [かー] 【名詞】 1. car 2. (n) car ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ラフ : [らふ] 1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
カール・フリードリヒ・アウグスツス・ギュツラフ(Karl Friedrich Augustus Gützlaff,LMS,1803年 - 1851年)は、中国で活躍したドイツ人宣教師である。現存する最古の日本語訳聖書「ギュツラフ訳聖書」を翻訳した人物として知られる。チャールズ・ギュツラフとも表記される。 == 生涯 == 1803年ドイツに生まれ、ベルリンの宣教師養成学校で学んだ、の宣教師として、タイで伝道したのちに、中国大陸で伝道活動に従事する。〔イギリスの団体に所属したので、英語風にチャールズ・ギュツラフ(Charles Gutzlaff)と表記されることもある。〕 朝鮮、台湾、日本にも関心を持ち、1832年から33年にかけて、船旅をして鎖国中の日本にも入国を試みたが実現しなかった。 1832年8月に、琉球王国の那覇に寄港した。ギュツラフ一行の臨海寺の近くに上陸した。その時集まった民衆と役人に、漢訳聖書〔太平天国の乱の洪秀全も同じ翻訳書を入手している。〕を配布した。琉球王尚氏に、三冊の漢訳聖書を贈呈した。 中国に戻ったギュツラフは、日本人の三人の漂流漁民(音吉、岩吉、久吉)を引き取り、日本語を学んだ。ヨハネによる福音書を翻訳した『約翰福音之伝』とヨハネ書簡3通を翻訳した『約翰上中下書』をシンガポールで出版した。これらは近代プロテスタントによる最初の日本語訳であり、断片を除けば現存最古の日本語訳聖書である。 1837年7月にギュツラフとサミュエル・ウィリアムズ宣教師らはモリソン号に乗り、音吉ら3人と、薩摩の漂流民4人(庄蔵、寿三郎、熊太郎、力松)を合わせた、漂流民7人を送り届ける目的で日本上陸を試みた。しかし、異国船打払令により幕府側が砲撃をしたので、やむを得ず引き換した。これが、モリソン号事件である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・ギュツラフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|