翻訳と辞書
Words near each other
・ カール・シュッケ・ベルリン・オルガン製作所
・ カール・シュッケ社
・ カール・シュテファン・フォン・エスターライヒ
・ カール・シュテファン・フォン・エスターライヒ=テシェン
・ カール・シュテファン・フォン・ハプスブルク
・ カール・シュテファン・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
・ カール・シュテュルク
・ カール・シュテルンハイム
・ カール・シュトゥンプ
・ カール・シュトゥンプフ
カール・シュトラウベ
・ カール・シュナーブル
・ カール・シュバルツシルト
・ カール・シュピッツヴェーク
・ カール・シュピッテラー
・ カール・シュミット
・ カール・シュミット (化学者)
・ カール・シュミット=ロットルフ
・ カール・シュルツ
・ カール・シュレンツ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カール・シュトラウベ : ミニ英和和英辞書
カール・シュトラウベ[かー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・シュトラウベ : ウィキペディア日本語版
カール・シュトラウベ[かー]

カール・シュトラウベMontgomery Rufus Karl Siegfried Straube, 1873年1月6日ベルリン - 1950年4月27日ライプツィヒ)はドイツオルガニスト合唱指揮者。ヘルザ・ヨハンナ(旧姓キュッヘル、1876年 - 1974年)と結婚し、一女エリーザベト(1904年 - 1924年)をもうけた。
==生涯==
シュトラウベは最初の音楽教育を、オルガニストでありハルモニウム製作者の父から受けた。のち、独学で学び続け、大学には進学しなかったが、オルガンの名手として有名になり、1897年にヴィーゼルで大聖堂付きオルガニストとしての職を得た。
1903年ライプツィヒ聖トーマス教会のオルガニストに就任。同年ライプツィヒ・バッハ・フェラインの合唱指揮者となる。1907年にはライプツィヒの王立音楽大学でオルガンの講師となり、1908年にはここで教授職を得た。
10年後の1918年にグスタフ・シュレックの跡を継いで聖トーマス教会のカントルに就任。同教会のオルガニスト職はギュンター・ラミンに受け継がれた。1919年に王立音楽大学に教会音楽研究所を設立(1941年から1945年まで活動が休止された後再開、1948年まで続いた)。1920年にシュトラウベはライプツィヒ・バッハ・フェラインの合唱団とゲヴァントハウス合唱団を合併し、これを1932年まで指導した。
1920年の秋にトーマス教会少年合唱団を率いて初の国外演奏旅行を行い、デンマークノルウェーで演奏した。これによって同合唱団が次第に高い国際的声望を得る礎石を置いた。1939年に退職し、聖トーマス教会のカントルはギュンター・ラミンが継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・シュトラウベ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.