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カール・シューリヒト : ミニ英和和英辞書
カール・シューリヒト[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・シューリヒト : ウィキペディア日本語版
カール・シューリヒト[かー]

カール・アドルフ・シューリヒトCarl Adolph Schuricht, 1880年7月3日 - 1967年1月7日)は、ドイツ指揮者
== 略歴 ==
ダンツィヒ生まれ。父親カール・コンラート・シューリヒトは代々受け継がれてきたオルガン製作者であったが、息子カールが生まれる3週間前に、ダンツィヒの海岸で溺れた雇い人を助けようとして命を落とした。カールは母親がオラトリオ歌手であったこともあり、幼少から音楽に囲まれた環境に育った。
1901年からマインツ市立歌劇場のコレペティトール(声楽練習の伴奏者)を務め、音楽家のキャリアをスタートさせる。1902年からはベルリン音楽高等学院に入学する。1912年から1944年まで長くヴィースバーデン市の音楽総監督の地位にあった。
1944年にエルネスト・アンセルメの求めに応じて、スイス・ロマンド管弦楽団に客演した際に、スイスに亡命し、そのまま終戦を迎えた。また戦前戦後を通じてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(戦前にはポリドールに多数のSP録音を行う)などのヨーロッパ各地のオーケストラに客演した。
1956年、ウィーン・フィルと米国演奏旅行を行う。12のコンサートを開き、大成功を収めた。2年後の1958年には、ウィーン・フィルと大規模なヨーロッパツアーを行った。
1957年ラヴィニア音楽祭シカゴ交響楽団に、タングルウッド音楽祭ボストン交響楽団に客演する。1963年には渡英し、ロンドン交響楽団を指揮した。
1965年ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮したのが最後の演奏会となり、1967年1月7日スイスで死去した。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カール・シューリヒト」の詳細全文を読む




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