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カール・ピアソン(Karl Pearson, 1857年3月27日 - 1936年4月27日)はイギリスの数理統計学者、優生学者で、記述統計学の大成者である。 == 生涯 == 弁護士の子としてロンドンに生まれた。名はもと Carl であったが、のちにカール・マルクスに傾倒して自ら Karl と変えた〔デイヴィッド・サルツブルグ著、竹内惠行、熊谷悦生訳『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』日本経済新聞社、2006年、ISBN 978-4532351946〕。ユニバーシティーカレッジスクール(高校に相当、en)を中退して家庭教師につき、ケンブリッジ大学のキングスカレッジに入学、数学を学び卒業した。ユニバーシティーカレッジスクールとケンブリッジ大学の両方で、日本の菊池大麓とともに学び、親友となっている〔丸山健夫『ナイチンゲールは統計学者だった!-統計の人物と歴史の物語-』日科技連出版社、2008年、ISBN 978-4817192738〕。ベルリンとハイデルベルクに留学し中世ドイツ文学やローマ法などを学んだ。帰国後は法学を学んだり文筆活動を行ったりしたが、再び数学に転じ、1881年にキングス・カレッジ・ロンドンで、1884年にはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの応用数学教授となった。 ここで、動物学者ウォルター・ウェルドンと知り合って生物測定学と進化論の共同研究を行い、またフランシス・ゴルトンにも紹介され、ピアソンはゴルトンの後継者となった。1911年にゴルトンが死んだ後、ピアソンは大部のゴルトンの伝記を著している。ピアソンはゴルトンの希望に従い創設された優生学部の初代教授となり、また応用統計学部も創設して研究を続け、1933年に退官した。 1890年に結婚し、娘2人と息子1人をもうけた。息子のエゴン・ピアソンも統計学者で、父の後を継いで応用統計学教授となった。 ピアソンは資本論の英語への翻訳をマルクスに申し入れる〔"the years of high econometrics a short history of the generation that reinvented economics", Franciso Louçã, 2007〕などドイツに留学してからマルクスを信奉する社会主義思想の持ち主で〔Pearson, Karl (1934). Speeches Delivered at a Dinner Held in University College, London, in Honour of Professor Karl Pearson, 23 April 1934. Cambridge University Press, p. 20.〕、そのため1920年には大英勲章を、また1935年にはナイト叙勲を辞退している。しかしピアソンによる優生学の考え方は「劣等人種との戦い」を公言するなど、現在からみれば人種差別主義であった。ピアソンのような優生学者の社会主義への傾倒は当時は珍しくなく、民族衛生学の父アルフレート・プレッツはかつてはマルクスを崇拝する社会主義者だった〔"Die Tüchtigkeit unserer Rasse und der Schutz der Schwachen", 1893, p. 141, 142. cited by Massimo Ferari Zumbini: The roots of evil. Gründerjahre des Antisemitismus: Von der Bismarckzeit zu Hitler , Vittorio Klostermann, Frankfurt a. M. 2003, ISBN 3-465-03222-5, p.406〕。 1930年代には統計学の基本的な考え方をめぐって小標本理論を重視するロナルド・フィッシャーと論争し、フィッシャーはピアソンの死後も息子エゴンと論争を続けることになる。 科学思想家としても有名で、著書として『科学の文法』〔初版は1892年。''The Grammar of Science'', Dover Publications, 2004 edition, ISBN 978-0486495811〕が特に知られる。この本では、科学とは方法論であってあらゆる現象が科学の対象となりうるという持論を展開し、特に統計学を科学という言語における文法に例えて説明している。アルベルト・アインシュタインも若い時にこれを読み強い影響を受けたという。日本では、夏目漱石、寺田寅彦も影響を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・ピアソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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