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カール・フォン・アストゥリエン : ミニ英和和英辞書
カール・フォン・アストゥリエン[かー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・フォン・アストゥリエン ( リダイレクト:カルロス (アストゥリアス公) ) : ウィキペディア日本語版
カルロス (アストゥリアス公)[ちょうおん]

ドン・カルロス・デ・アウストリア(Don Carlos de Austria, 1545年7月8日 - 1568年7月24日)は、スペインの王太子、アストゥリアス公。父はスペイン王フェリペ2世、母はポルトガル王女マリア・マヌエラでその長男。フェリペ3世の異母兄にあたる。
なお、スペイン・ハプスブルク家スイス北東部(バーゼル近郊)のライン川上流域からドイツ南西部のバーデン地方を発祥とすることから、ドイツ語カール・フォン・アストゥリエン(Karl von Asturien)と表記されることもある。
== 概要 ==
当時のボヘミア大使の手紙によると「カルロスは肩の高さが違い、右足が左足より長く、頭が大きすぎる。胸はくぼみ、背中にこぶがある。まるで子供のように愚かしい質問ばかりする。高尚なことに興味を示したことはなく、食べることにしか感心がない。際限なく食べ続けているので、よくいろいろな病気にかかり、顔色はひどく悪く、長生きはできないだろう」とある。
父に反逆してネーデルランドに行こうとして逮捕監禁され、24歳で牢死した。
フランス国王アンリ2世の娘エリザベート・ド・ヴァロワと婚約していたが、父王フェリペ2世がエリザベートを3人目の王妃とした。カルロスの死の数ヶ月後に、エリザベートは亡くなっている。
八十年戦争中のネーデルラントへの逃亡など、歴史的には実証されていないが、シラーの戯曲やヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』で、エリザベートへの悲恋というフィクションが作り上げられ、悲劇的人物として知られる。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルロス (アストゥリアス公)」の詳細全文を読む




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