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ガボール・ザボ : ミニ英和和英辞書
ガボール・ザボ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ガボール・ザボ : ウィキペディア日本語版
ガボール・ザボ[ちょうおん]

ガボール・ザボハンガリー語では姓が先に記載されるが、アメリカでは名の「Gábor」を先にした名義で活動しており、作品の日本発売元(ユニバーサルミュージックキングレコード等)の公式表記も英語に準じた「ガボール・ザボ」となっている。ハンガリー語の名前をカタカナに転写するとサボ・ガーボルとなる。〕(Gábor Szabó、1936年3月8日 - 1982年2月26日)は、ハンガリージャズミュージシャンギタリストアメリカに渡り音楽活動を行う。
== 来歴 ==
ブダペスト生まれ。14歳でギターを始める。20歳の時にハンガリー動乱が起こり、アメリカに渡る。1958年から1960年にかけてバークリー音楽院で学び、その後チコ・ハミルトン楽団で活動。
チコのバンドを脱退してからは、インパルス!レコードとの契約を得て、バンド・リーダーとしても活動。1965年11月に録音されたリーダー・アルバム『Gypsy '66』では、当時バークリー音楽院に留学していた渡辺貞夫フルートを担当〔Gypsy '66 - Gabor Szabo : AllMusic 〕。1966年5月には、代表作の一つ『Spellbinder』を録音。同作収録曲「Gypsy Queen」は、後にサンタナのアルバム『天の守護神』で、フリートウッド・マックの楽曲「Black Magic Woman」とのメドレーという形でカヴァーされた。その後、インド音楽からの影響も取り入れ、『Wind, Sky And Diamonds』はシタール奏者も含む編成でレコーディングされた。1960年代末期には、ゲイリー・マクファーランドと共にSkyeというレーベルを立ち上げ、ガボールも同レーベルから作品を発表するが、ゲイリーが1971年に死去したため閉鎖となる。
ブルース・レーベルの「ブルー・サム・レコード」から発表されたアルバム『High Contrast』では、ソウル・ミュージシャンのボビー・ウーマックと共演。同作でボビーがガボールのために書き下ろした「Breezin'」は、1976年ジョージ・ベンソンによるカヴァー・ヴァージョンが大ヒットする〔High Contrast - Gabor Szabo : AllMusic 〕。1973年以降は、CTIレコードや、同社の傘下のレーベル「サルヴェイション」等で録音を行う。また、やはりCTIと契約していたポール・デスモンドのアルバム『Skylark』にゲスト参加〔Skylark - Paul Desmond : AllMusic 〕。
1970年代後半になると、しばしば祖国ハンガリーを訪れるようになる。1979年チック・コリア等と共に行ったレコーディングが、アメリカでの最後の録音となり、その時の音源は後にアルバム『Femme Fatale』として発表される。1981年にはハンガリーに戻る。翌年、肝臓腎臓の障害により、ブダペストの病院で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガボール・ザボ」の詳細全文を読む




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