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ガンデンポタンは、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。 == 概略 == "ガンデンポタン"は、1642年以来の伝統を持つ、チベット国家の中央政府としての正式名称であり〔ラクパ・ツォコ代表(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)、インタビュアー野村正次郎(mmba)事務局長「ダライ・ラマ法王引退とチベット最新状況」2011.6.17 bTibet XI Spring Tokyo 於:大本山護国寺 忠霊堂(http://www.mmba.jp/archives/4440) ::''ラクパ・ツォコ代表: チベットの政府は、正式には「ガンデンポタン政府」といいます。1959年頃から、英語では「Central Tibetan Administration」と表記し、チベット語では「チベット亡命政府」としてきました。この「ガンデンポタン政府」は、ダライ・ラマ法王が、政治と宗教の両方の指導者です。ダライ・ラマ5世から現在の14世まで、約400年の歴史があります。今回のご発言で、法王は「政治と宗教を分ける」と表明されています。'' 〕、1959年以降は、「チベット亡命政府 བཙན་བྱོལ་བོད་གཞུང་」という亡命政府としてのチベット名や、Central Tibetan Administration(CTA)(中央チベット行政府)という英語名も併用されるようになった。 ただし2011年5月、亡命チベット人憲章(2011年)の発効にともない、これまで使用されていた「亡命政府」の通称が「チベット人民機構 བོད་མིའི་སྒྲིག་འཛུགས་ 」と変更された。また、印字等に使われていた「チベット政府ガンデンポタンབོད་གཞུང་དགའ་ལྡན་ཕོ་བྲང་ཕྱོགས་རྣམ་རྒྱལ་」の称号も、「真理に勝利あれ བདེན་པ་ཉིད་རྣམ་པར་རྒྱལ་གྱུར་ཅིག」に改訂された。 「ガンデンポタン」という呼称は、この政府がポタラ宮殿(1660年完成)に移転するまで本拠を置いていたデプン寺の「兜率宮殿」に由来する。ワイリー拡張方式によるチベット語表記では、dga' ldan pho brang。チベット政府としての正式呼称は「ガンデンポタン・チョーレーナムギャル(dga' ldan pho brang phyogs las rnam rgyal, 諸方に勝利せるガンデンポタン)」。下記の「国章」にも、二頭の雪獅子の足下の赤帯の上に、ウメ体で「諸方に勝利せるチベット政府ガンデンポタン(bod gzhung dga' ldan pho brang phyogs las rnam rgyal)」と記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガンデンポタン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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