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柳田 邦男(やなぎだ くにお、1936年6月9日 - )は、ノンフィクション作家、評論家。航空機事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントや評論を数多く執筆している。妻は絵本作家の伊勢英子。娘にカメラマンの石井麻木がいる。 ==来歴・人物== 1936年栃木県鹿沼町(現:鹿沼市)生まれ。栃木県立鹿沼高等学校を経て、1960年東京大学経済学部を卒業する。同年NHKに入局し、広島放送局へ配属される。1963年東京へ戻り、社会部に配属になる。1966年に遊軍記者として全日空羽田沖墜落事故、カナダ太平洋航空機墜落事故、BOAC機空中分解事故を取材する。1971年にこれらの事故を追ったルポルタージュ『マッハの恐怖』を発表し、第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。 1974年NHKを退職して、現在までノンフィクション作家として活躍している。以前は航空評論家として航空機事故が発生した際にNHKの解説委員として出演することも多かった。主に事故、災害など「クライシス・マネジメント」に関する著書を執筆するが、『零戦燃ゆ』などの戦史ノンフィクションも手がける。 1985年8月12日の日本航空123便墜落事故発生時、多摩の自宅に居た柳田は、当時NC9(ニュースセンター9時)のキャスターだった木村太郎からの出演要請を受け、タクシーで1時間かけてNHKに赴き、報道特別番組に航空評論家として出演した(なおこの特別番組は柳田のノンフィクション『マリコ』のドラマ番組を中断して放送された)。局に向かうタクシーの中で、テレビの1-3チャンネルが受信できる携帯ラジオを使ってNHKテレビのニュースを聴きながら事故の全貌を分析したという(『事実の考え方』)。 1995年、精神を病んだ次男が自殺する体験を綴った『犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日』を発表し、文藝春秋読者賞、第43回菊池寛賞を受賞する。それ以降、精神論・終末医療などの著作が増え始め、その中で若者や若者文化(ネット・ゲーム・携帯電話)への強い批判を表明し始める。1999年「脳治療革命の朝」で、2012年「原発事故 私の最終報告書」でも文藝春秋読者賞受賞。 1999年に出た伊勢英子との共著『はじまりの記憶』の巻頭の対談では、次男の自殺以後、伊勢を挿画家として紹介され知り合ったとある。 2005年7月、日本航空「安全アドバイザリーグループ」の座長に就任。2005年環境省「水俣病問題に係る懇談会委員」(-2006年)。2008年毎日新聞社「開かれた新聞」委員会委員。2008年子どもの徳育に関する懇談会委員。 高野山大学の学外組織として2005年に発起された「21世紀高野山医療フォーラム」では理事長を務め、開会の挨拶や公演などを行っている。 その他には、2014年現在司馬遼太郎賞、吉川英治文化賞の選考委員を務めている。 また、2011年5月、政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会のメンバーの一人に選ばれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳田邦男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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