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ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・シャー : ミニ英和和英辞書
ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・シャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・シャー : ウィキペディア日本語版
ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・シャー[ちょうおん]

ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・シャーヒンディー語:ग़ाज़िउद्दीन हैदर शाह, ウルドゥー語:غازی الدیں حیدر شاہ‎, Ghazi-ud-Din Haidar Shah, 1769年 - 1827年10月19日)は、北インドアワド藩王国の君主 (在位:1814年 - 1827年)。
==生涯==
1814年7月11日、父であるアワド藩王サアーダト・アリー・ハーン2世が死亡したことにより、ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・ハーンが太守位を継承した〔Oudh 12 〕。
1818年10月19日、ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・ハーンは「アワド王」(Padshah-e Awadh)を宣し、自らの名で貨幣を鋳造するようになった〔。ここからアワドの君主は「太守」ではなく「王」として扱われ、王を意味する「シャー」を名乗ったが、太守を意味する「ナワーブ」の称号も併用した。
また、1819年10月8日、ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・ハーンはムガル帝国の皇帝アクバル2世に対し、正式に独立を宣言した〔HISTORY OF AWADH 〕。これにより、アワドはアワド王国となったわけだが、当然ながらイギリスに従属する藩王国であることに変わりはなく、ラクナウにはイギリスの駐在官が滞在していた。
1827年10月19日、ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・シャーは死亡し、息子のナーシルッディーン・ハイダル・シャーが藩王位を継承した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガーズィー・ウッディーン・ハイダル・シャー」の詳細全文を読む




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