翻訳と辞書
Words near each other
・ ガーネットスター
・ ガーネットステークス
・ ガーネットムーン
・ ガーネット・クレイドル
・ ガーネット・クロウ
・ ガーネット・シルク
・ ガーネット・スター
・ ガーネット・ミムズ
・ ガーネット・ムーン
・ ガーネツト
ガーハダヴァーラ朝
・ ガーハート サイクルプレーン
・ ガーハード・ワインバーグ
・ ガーバハレ
・ ガーバー
・ ガーバー マークII
・ ガーバーデータ
・ ガーバーフォーマット
・ ガーバー・データ
・ ガーバー・フォーマット


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ガーハダヴァーラ朝 : ミニ英和和英辞書
ガーハダヴァーラ朝[あさ, ちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

ガーハダヴァーラ朝 : ウィキペディア日本語版
ガーハダヴァーラ朝[あさ, ちょう]
ガーハダヴァーラ朝(ガーハダヴァーラちょう、英語:Gahadavala dynasty)とは、11世紀末から12世紀まで、北西インドを支配したヒンドゥー王朝(1090年 - 1193年)。ラージプートの王朝でもある。首都はカナウジ
== 歴史 ==
1018年、北西インドを支配したプラティーハーラ朝は、ガズナ朝マフムードによって大打撃をうけ、1036年に滅亡したのちに分裂した。その後、ヴァーラーナシーからドアーブ地方(ガンジス・ジャムナー川間の地域)はガズナ朝やマールワーパラマーラ朝の侵攻を受けることもあれば、カラチュリ朝に一部支配が置かれるなど混乱が続いた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、pp.31-32〕。
だが、1080年代前半にガーハダヴァーラ氏族のチャンドラデーヴァが北インドを確立した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.32〕。彼は1090年に「マハーラージャーディラージャ」を名乗り、カナウジを都にガーハダヴァーラ朝を建国した〔〔チョプラ『インド史』、p.66〕。
次王ゴーヴィンダチャンドラはこの王朝の最も偉大な王であった。彼はカシュミール王国グジャラートチャウルキヤ朝、さらには南インドのチョーラ朝とも同盟し、北インド一帯に勢力を広げた〔。また、弱体化していたベンガルのパーラ朝に攻撃をかけ、マガダ地方の一部を奪取し、その支配は東インドにまで広がった〔〔。
1155年、ゴーヴィンダチャンドラの息子ヴィジャヤチャンドラが後をついだが、彼の治世の末期より、アフガニスタンゴール朝の勢力がカシュミール方面へと侵入していた。また、同世紀からラージャスターン地方で台頭してきたチャーハマーナ朝とドアーブ地方の支配をめぐって争うようになってきた〔。
1170年、ヴィジャヤチャンドラの息子ジャヤチャンドラが後を継いだが〔チョプラ『インド史』、p.67〕、彼の治世はラージャスターン地方のチャーハマーナ朝との関係が悪化していた〔。関係悪化の原因の一つは、ジャヤチャンドラの娘サンヨーギターとチャーハマーナ朝のプリトヴィーラージャ3世の関係だった〔。
あるとき、ジャヤチャンドラは自分の娘の婿選びに、各地の諸王に手紙を出し、首都カナウジに来るように伝えたが、プリトヴィーラージャ3世は敵国の王だったため拒否された。だが、プリトヴィーラージャ3世は従者とこっそり都にやってきて、ジャヤチャンドラの娘と恋仲になり、勝手に連れ去ってしまった。
このフィクションであろう話は物語詩に歌われ、のちにチャンド・バルダーイーが、「プリトヴィーラージ・ラーソー」という文学作品を出しているが、ジャヤチャンドラはこれに激怒し、この一件は隣接する両国の関係を悪化させた。
そのため、11世紀末にゴール朝の勢力が侵略し、プリトヴィーラージャ3世がゴール朝の勢力と対決したとき、ジャヤチャンドラは援軍を出さず、1192年にプリトゥヴィーラージャ3世は敗北した(タラーインの戦い)〔〔チョプラ『インド史』、p.72〕〔。
しかし、ゴール朝の侵略の手はガーハダヴァーラ朝の領土にも伸びるようになると、ジャヤチャンドラは近隣諸国に援軍を求めた〔。こうして、1193年にムハンマド・ゴーリー率いるゴール朝の軍とジャヤチャンドラの軍がチャンダワールフィールーザーバード)で対決するに至った(チャンダワルの戦い)〔。
ガーハダヴァーラ朝の軍は各地からの援軍で100万(これはおそらく誇張だが、それでも大軍だったことは事実である)にも膨れ上がっていた。しかし、ゴール朝の軍はこれをたやすく打ち破り、軍を率いていたジャヤチャンドラは戦死し、事実上この時点をもって王朝は滅亡した〔。
勝利したゴール朝の軍勢はガーハダヴァーラ朝の首都カナウジを略奪、アースニー城塞、ヴァーラーナシーへと進撃した〔〔。その後、この地域を拠点にゴール朝の武将ムハンマド・バフティヤール・ハルジーはビハールに侵入して莫大な富を得、ベンガルのセーナ朝をも攻撃した〔。
ジャヤチャンドラの死後、ガーハダヴァーラ朝はその息子ハリシュチャンドラによって継承され、カナウジを中心に命脈を保ち、奴隷王朝シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュに滅ぼされるまで存続した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、pp.32-33〕。また、一部はラージャスターン地方へと逃げ、のちにマールワール王国を建国した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガーハダヴァーラ朝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.