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キ105は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の試作輸送機。開発・製造は日本国際航空工業。本機の名称としてよく紹介される「鳳(おおとり)」という名称は、国際における社内名称であり、文献によっても表記に違いがある。アメリカ軍によるコードネームはBuzzard(バザード、「ハゲタカ」の意〔ジム・ウィンチェスター(松崎豊一・監訳)『図説 世界の「最悪」航空機大全』原書房 2009年 ISBN 978-4-562-04236-4〕)。 == 開発 == 1943年(昭和18年)から国際では大型輸送用グライダーの開発を進めていたが、1944年(昭和19年)8月に完成した軍用グライダーク7-IIを審査した帝国陸軍は、この機体をエンジン付きの輸送機とするように指示を出した。アメリカ軍の徹底した通商破壊作戦により、東南アジアにおける制海権を奪われた状況下で、帝国陸軍は南方から油槽船にかわって、ク7-IIを改修した輸送機数百機による区間分割輸送を用いて「内地へ10~20パーセントでも多く燃料輸送を行なう」という奇想天外な非常対策を実施しようと計画した。 その際の要望として *4tの積載物、または40名の兵員輸送が可能なこと。 *航続距離は1,500km以上。 *大量生産が可能なこと。 をあげていた。 試作名称(キ番号)キ105と名づけられた機体は、ク7-IIの試作第2号機を改造する形で同年11月に試作機が完成した。機体はク7同様中央胴体に双側胴と高翼式の主翼を組み合わせた双胴式で、積載物の積み下ろしが容易な形態になっていた。またエンジンを2機搭載するため、側胴の前部はやや延長されていた。中央胴体は軽合金製だが、その他の部分は木製であった。燃料タンクは、ナセル内に主タンク、中央翼前縁に補助タンクを設けた。エンジンは当初ハ13(450hp)を搭載したが、出力不足のためハ26-IIまたはハ102に換装した。 同年12月の飛行審査の結果は良好で、制式採用の手続きはとられなかったものの1945年(昭和20年)3月までに300機完成との量産指示が陸軍から出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キ105 (航空機)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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