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キ43 ( リダイレクト:一式戦闘機 ) : ウィキペディア日本語版
一式戦闘機[いっしきせんとうき]

一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしき-)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍戦闘機キ番号(試作名称)はキ43愛称(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦一戦ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発は中島飛行機、製造は中島および立川飛行機〔二型の量産時点から立川でも生産されており、さらに三型の全ては立川で移管生産された。また立川陸軍航空工廠でも少数の一型が生産されている。〕。
四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争大東亜戦争)における主力機として使用された。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位〔総生産機数日本軍第3位、陸軍機第2位は大戦後期の主力機である四式戦。〕。
== 開発・概要 ==

1937年(昭和12年)12月に制式採用された中島製の全金属製低翼単葉機九七式戦闘機(キ27)は、主脚に固定脚を採用した保守的な格闘戦向けの戦闘機だった。登場当初の九七戦は速度・上昇力・旋回性に優れた優秀機であったが、当時の欧州では引込脚のBf 109ドイツ)とスピットファイアイギリス)が出現しており、設計面で将来性が乏しい九七戦自体に限界を感じていた陸軍は新型戦闘機の開発を模索するようになった〔#青木回想104、107頁〕。そのため九七戦採用と同月である12月、陸軍航空本部は中島に対し一社特命でキ43試作内示を行い〔#青木回想106頁、#作戦上要望p.2〕、1939年(昭和14年)末の完成を目指して開発が始まった〔#作戦望p.3〕。主な要求仕様は以下の通りとされている。
* 最大速度 - 500km/h
* 上昇力 - 高度5,000mまで5分以内
* 行動半径 - 800km以上〔半年後に出された『陸軍航空本部兵器研究方針』「軽単座戦闘機」の項では「300kmを標準として余裕飛行時間30分。出来るだけ行動半径600kmに近づける」となっている。〕
* 運動性 - 九七戦と同等以上
* 武装 - 固定機関銃2挺
* 引込脚を採用
中島では設計主務者たる小山悌課長を筆頭とする設計課が開発に取り組み、担任技師(設計主任)は機体班長たる太田稔技師、構造設計担当青木邦弘技師、翼担当一丸哲雄技師、ほかに空力担当として糸川英夫技師らが設計に協力し、群馬県の太田製作所で開発が始まった。
なお、九七戦開発中に考案された航本の昭和12年度『陸軍航空兵器研究方針』において、単座戦闘機は「機関銃搭載型」と「機関砲搭載型」の2種が定義されており、これに則って開発が始められた機体がキ43(前者)とキ44(後者)である(のちに二式戦闘機「鍾馗」となるキ44は1938年(昭和13年)に同じく中島に対して研究内示が行われた)。昭和13年度『陸軍航空兵器研究方針』では新たに「軽単座戦闘機」と「重単座戦闘機」の区分が登場、「軽戦(軽単座戦闘機)」は格闘戦性能を重視し機関銃を装備、「重戦(重単座戦闘機)」は速度を重視し機関砲を装備するものと定義され、当時開発中であったキ43は「軽戦」に、キ44は「重戦」となっている〔さらに区分が明文化された昭和15年度『陸軍航空兵器研究方針』において、「重戦」は高速重武装で航続距離や防弾装備にも優れ対戦闘機対爆撃機戦に用いる万能機たる本命機となり、「軽戦」は格闘戦を重視し主に対戦闘機戦に用いる性能装備面で妥協した補助戦闘機的ものとなっている。1941年12月には中島に対し「重戦」の発展型としてキ84の内示が行われ、これはのちに四式戦闘機「疾風」として採用、これは速度・武装・防弾・航続距離・運動性・操縦性・生産性に優れた万能機となっている。昭和18年度『陸軍航空兵器研究方針』では「軽戦」と「重戦」の区分は廃止され、妥協の産物である「軽戦」は「重戦」に併呑され「近距離戦闘機(近戦)」となっている(同年度方針では「近戦」のほかに「遠距離戦闘機(遠戦)」・「高高度戦闘機(高戦)」・「夜間戦闘機(夜戦)」の区分が登場)。〕。キ43はキ44と比べて格闘戦を重視というものであった〔#作戦上要望p.5〕。青木技師は陸軍の要求は「九七戦に対し運動性で勝ること」で「近接格闘性」という表現を排除していることに着目し、キ43は重戦指向であったと述べている〔#青木回想108頁〕。
引込脚以外の機体基本構造は前作の九七戦を踏襲したことから開発は順調に進み(反対に日本機にとって革新的なキ44には新技術や新構想が盛り込まれた)、供試体である試作0号機を経て1938年12月に試作1号機(機体番号4301)が完成、同月12日に利根川河畔中島社有の尾島飛行場にて初飛行している(操縦はテスト・パイロット四宮清)。エンジンは中島で開発されたハ25を、翼型はNN-2・翼端部はNN-21を採用(上半角6度・取付角2度・翼端部2度捩下)、またアルミニウム製燃料タンクが出来た時点で陸軍から防火タンク化の指示がなされている(#防弾装備)〔『世界の傑作機 陸軍1式戦闘機「隼」No.65 』 pp.11-12〕。試作1号機の胴体形状は増加試作機以降とは大きく異なり引込脚化された九七戦を引き伸ばした感じであり、風防は枠の無い曲面1枚物といった特徴がある(初飛行後に景色の歪みが問題とされ平面主用の3枚物に換装)。1939年(昭和14年)1月、立川陸軍飛行場に空輸されたキ43試作1号機は陸軍航空技術研究所による審査に移行、また同年2月に試作2号機、3月に3号機が完成し合流している。航技研や明野陸軍飛行学校での審査の結果、キ43は九七戦に比べ航続距離は長いものの旋回性に劣り最大速度の向上は30km/h程度ということが判明、さらに同年5月に勃発したノモンハン事件(主に前期ノモンハン航空戦)で九七戦が旋回性能を武器に活躍したこともキ43採用に対して逆風となっていた〔『世界の傑作機 陸軍1式戦闘機「隼」No.65 』 pp.12-15〕。同年11月、審査の結果を受け胴体以下各部を改め全体のスタイルがのちの制式機相当となった増加試作1号機(通算試作4号機)が完成したが、依然キ43の審査は長引いていた。そこで軽戦派・重戦派の双方から中途半端とみなされたキ43試作機型をそのまま制式採用することは見送り、より強力なエンジン(ハ105)に換装して高速化を図った改良型(キ43-II)の開発を進めることが決定された〔#青木回想110-11頁〕。
キ43の開発・改良が続けられる間にも日本とアメリカ・イギリスの関係は悪化の一途を辿った。1940年(昭和15年)夏、参謀本部は南進計画に伴い南方作戦緒戦で上陸戦を行う船団を南部仏印より掩護可能、また遠隔地まで爆撃機護衛および制空することが出来る航続距離の長い遠距離戦闘機(遠戦)を要求。アメリカ軍イギリス軍の新鋭戦闘機に対抗可能と考えられたキ44(二式戦)の配備が間に合わないことと〔制式制定前に新鋭機の実戦テストも兼ね、開戦と共に増加試作機装備の1個独立飛行中隊独立飛行第47中隊)が参戦。〕、飛行実験部実験隊(航技研審査部門の後身)のトップである今川一策大佐の進言もあり、一転してキ43試作機型に一定の改修を施した機体を制式採用することが決定。同年11月、主に以下を内容とする『キ43遠戦仕様書』が中島に示され、翌1941年(昭和16年)3月に改修機が飛行実験部実験隊戦闘班に引き渡され再度試験が進められた。
* 型戦闘フラップの装備
* 定回転プロペラの装備
* 爆弾落下タンクの装備
* 武装の12.7mm機関砲化
* 行動半径の1,000km以上化
* エンジンはハ25を使用
かつて問題となっていた九七戦との運動性の比較については、戦闘フラップを使用しなくとも水平方向でなく上昇力と速度を生かした「垂直方向」の格闘戦に持ち込むことで、不利な低位戦であっても圧倒可能と判断されている。これはノモンハン事件におけるソ連軍戦闘機I-16の戦法を参考にしたものとされ〔#青木回想108頁〕、飛行実験部テスパイ岩橋譲三大尉の研究結果であった。これらの結果を受けて1941年(皇紀2601年)5月、キ43は陸軍軍需審議会幹事会において一式戦闘機として仮制式制定(制式採用)された。参謀本部の要請からキ43の採用を望んでいた航本総務部は、制式決定を待たず中島に対して400機生産の内示を出したとされており、一式戦量産1号機は同年4月に完成し6月時点で約40機がロールアウトしている〔『世界の傑作機 陸軍1式戦闘機「隼」No.65 』 p.17〕。
制式採用の遅れから、太平洋戦争開戦時に一式戦が配備されていた実戦部隊は飛行第59戦隊飛行第64戦隊の僅か2個飛行戦隊(第59戦隊2個中隊21機・第64戦隊3個中隊35機)であった。しかし、「南方作戦においてこれらの一式戦は空戦において約4倍の数を、対戦闘機戦でも約3倍の数の連合軍機を確実撃墜」〔梅本 (2010a), p.23〕。さらに太平洋戦争自体の最重要攻略目標たるスマトラ島パレンバン油田製油所陸軍落下傘部隊(挺進部隊)とともに制圧するなど〔「南方資源地帯の確保」は日本の太平洋戦争開戦理由であり、東アジア屈指の産油量を誇るパレンバンを筆頭とするインドネシアオランダ領東インド:蘭印)の大油田地帯は、陸海軍の南方作戦における戦略上の最重要攻略目標である。〕、陸軍が想定していた以上の華々しい戦果を挙げた(#南方作戦)。1942年(昭和17年)後半以降は旧式化した九七戦に替わり改変が順次進められ、名実ともに陸軍航空部隊(陸軍航空隊)の主力戦闘機となっている。一式戦は一〇〇式司令部偵察機「新司偵」とともに、西はインドカルカッタ)、南はオーストラリアダーウィン)、東はソロモン諸島、北は千島列島とほぼ全ての戦域に投入された。
一式戦は改良型が開発配備されるも大戦中期以降は旧式化し、戦況自体の悪化や連合軍が改良型機・新鋭機を大量投入し戦術も変更するようになってからは苦戦を強いられるようになり(#飛行性能)、また1944年(昭和19年)後半以降は新鋭の四式戦が量産されこれに順次改変されているため配備数上では帝国陸軍唯一の主力戦闘機ではなくなった。カタログスペック上では大戦後期には完全に旧式化した一式戦だが1945年まで生産が続けられ、そのような機体を末期まで生産・運用したことを陸軍の不手際と評価する見方もあるが、重戦たる二式戦は運動性に優れた機体に慣れた操縦者(あるいは適応力のない操縦者)の中には使いにくいと評価する者がありまた離着陸の難度が高く、三式戦闘機「飛燕」(キ61)は搭載水冷エンジンハ40の信頼性に問題があり全体的に稼働率が低くまた離昇出力も低く、1944年半ばより「大東亜決戦機」たる主力戦闘機として重点的に量産された四式戦はそのバランスの取れた高性能と実戦での活躍によりアメリカ軍から「日本軍最優秀戦闘機」と評されたものの、ハ45の不具合や高品質潤滑油・高オクタン価燃料・交換部品の不良不足によりこちらも信頼性に難があった。三式戦二型(キ61-II改)をベースに空冷エンジンハ112-IIに換装、速度性能と引換に「軽戦」などと評された運動性と比較的良好な稼働率を得た五式戦闘機(キ100)の配備は1945年までずれ込んだ。そのような中で立川の生産ラインを活用し三型の量産が可能であった一式戦は全期間を通じて安定した性能を維持しており、信頼性も高く、新人操縦者にも扱い易く、その運動性の高さを武器に最後まで使用は継続された(#運動性能)。
また一式戦は特筆に価する点として、大戦初期に限らずビルマミャンマー)やその南東、中国の戦線では大戦後期・末期である1944年後半以降においても連合軍戦闘機との空戦において「互角ないしそれ以上の勝利」を重ね(#ビルマ航空戦#中国航空戦)、またスピットファイア・P-38P-47P-51といった新鋭戦闘機との対戦でも「互角の結果」を残していることが挙げられる(中でもこれら「全機種」はビルマ航空戦では一式戦との初交戦で一方的に撃墜されてしまっている(#ビルマ航空戦 後期))。これらの記録は日本軍と連合軍側の戦果・損失記録の比較により裏付も取れている「史実」である〔梅本 (2010ab)等〕。一例として、1945年(昭和20年)3月15日にはバンコク付近にて飛行第30戦隊の一式戦2機がP-51D 4機(当初は8機)と交戦、この一式戦2機は空中退避中にP-51D 4機編隊の奇襲を受けた劣勢にも関わらずまずその一撃離脱攻撃を回避、続く別のP-51D 4機編隊の攻撃は得意とする超低空域機動によってこれも回避、さらに一式戦は反撃し1機(第1戦闘飛行隊第4小隊モダイン大尉機)を確実撃墜したという記録が残っている〔梅本 (2010a), p.118〕。
最初期の頃は配備数の少なさ故に一式戦の存在自体が日本軍内でもあまり知られておらず、また当時の陸軍機は胴体に国籍標識ラウンデル)の日章を記入することをやめていたため、海軍ばかりか身内の陸軍操縦者からも敵新型戦闘機と誤認され、味方同士の真剣な空戦が起こるなどの珍事もあった。このため1942年中後半頃からは陸軍機も再度胴体に日章を描く様になっている。南方作戦が一通り終了した1942年3月に一式戦は「隼」と名付けられ大々的に発表され、以降陸海軍内でも知名度を上げていった(#愛称)。交戦相手の連合軍側においては、外見が類似していることや国外知名度の差などから大戦後期に至っても零戦と誤認される事例が多く、「そのためいわゆる零戦の戦果とされているものの一定数は一式戦の戦果である」(#「ブラックドラゴン飛行隊」伝説ほか)。ビルマ方面のイギリス空軍からは「ゼロ・ファイター」に類似した「ワン・ファイター」ということで「01(ゼロワン)」と、それ以前にフライング・タイガース(AVG)によって「ニューゼロ」と呼ばれたことも一時期あったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「一式戦闘機」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nakajima Ki-43 」があります。




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