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キエフ級航空母艦(-きゅうこうくうぼかん、)は、は、ソビエト連邦海軍が運用していた重航空巡洋艦()の艦級。旧ソ連海軍での正式名は1143型重航空巡洋艦()で、計画名は「クレチェト」(、「ハヤブサ」の意)。 ソ連初の実用艦上機であるYak-38を搭載しており、イギリス海軍のインヴィンシブル級航空母艦とともに、近代的な軽空母の先駆者として高く評価されている〔。本項では、改設計型の11433型、および11434型までを一括して扱う。 == 来歴 == 1960年代、旧ソ連海軍では、地中海などの遠隔海域において北大西洋条約機構(NATO)軍の潜水艦発射弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)による戦略パトロールに対抗するため、多数の哨戒ヘリコプターを集中運用できる1123型対潜巡洋艦(モスクワ級)2隻が就役していた。同級は非常に優れた対潜戦能力を示したことから、海軍はさらに発展型の1123.3型として「キエフ」の建造を計画しており、同艦は1968年10月に、原型艦2隻と同じく、ムィコラーイウの第444造船所で起工される予定であった。しかしこの時期、海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ元帥は、試作垂直離着陸機(VTOL機)であるYak-36の性能に感銘を受け、次期対潜巡洋艦にはこれとP-120(SS-N-9)艦対艦ミサイルを搭載するよう指示したことから、1123.3型の建造は取りやめられた。 1968年9月2日、国防省は、1123.3型の建造中止と、これにかえて''1143型対潜巡洋艦''の建造を正式に指示し、艦名は1123.3型のものが引き継がれて「キエフ」とされた。竣工は1973年と計画されたため、国防省は1ヶ月で作戦要求案をまとめ、造船所は1968年内に原案を、1969年中に技術案を作成する必要があった。このため、第444造船所と第17設計局(モスクワ級の設計担当部署)は、要求案の公表前に原案作成に着手、9つの案が作成された。これらは、固有兵装をほとんど持たない原子力空母(排水量45,000トン、CATOBAR方式、MiG-23など搭載機50機)という冒険的な案から、1123型を踏襲した保守的な案まで多彩であった。しかし上記の通り時間的余裕が乏しかったことから、最終的に選ばれたのは、アングルド・デッキを備える一方で発艦支援設備(カタパルトなど)や着艦拘束装置を持たないV/STOL空母という漸進案であった〔。 1968年10月、ゴルシコフ元帥は1143型対潜巡洋艦の作戦・技術規則要求を承認するとともに、艦対艦ミサイルをP-500「バザーリト」(SS-N-12)に変更し、排水量を28,000tに増加させることを許可したが、P-500搭載のためにはこれでも不足することが判明し、翌年夏にはさらに1,000t増加した。また本級の最重要装備といえる艦上攻撃機であるYak-36M V/STOL軽襲撃機は、1969年1月に作戦・技術規則要求の承認を受け、1970年3月には技術案が承認、その翌月にはさっそく初号機が完成した。1970年4月、海軍と造船省は1143型の技術案を承認、1971年2月には建造計画が承認された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キエフ級航空母艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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