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キタノダイオー(1965年 - 不明)は日本のサラブレッド系種(サラ系)の競走馬、種牡馬である。タケシバオーらと同期にあたる。血統は父ダイハード、母は朝日杯3歳ステークスの優勝馬キタノヒカリ、母の父は顕彰馬トサミドリである。半姉に1963年の優駿牝馬(オークス)優勝馬アイテイオー(父ハロウェー)がいる。 調教師は久保田金造、馬主は田中清司、主戦騎手は当時若手であった郷原洋行であった。 ※本項では1965年産馬について説明する。また、馬齢は当時の表記(旧表記)に統一する。 == 略歴 == 3歳(旧表記)の早い時期にデビューすると、新馬戦を圧勝、続く函館3歳ステークスも新馬戦と同様の圧勝を収める。3戦目の北海道3歳ステークスも圧勝し、一躍ダービー候補となる。当時郷原は「今まで騎乗した馬で最高の馬である」とキタノダイオーを高く評価した〔日本中央競馬会「優駿」1988年2月号より。〕。 しかしその後故障し、タケシバオー、アサカオー、マーチス、タニノハローモア等が活躍したクラシック路線は完全に棒に振ってしまった。 2年近い休養の後デビューの地函館で復帰すると、条件戦を3連勝し、再び休養を挟んだ6歳2月、東京での条件戦も勝利したが、これが最後の出走となり、重賞への復帰は叶わず7戦7勝の成績を残して引退した。 1971年から種牡馬入りし、産駒がすべてサラ系になるというハンデを背負っていたものの、底を見せないまま競走生活を終えたことや、初年度産駒のハードラークが中央競馬の重賞を制したこともありなかなかの人気を集め、国内産種牡馬不遇の時代のおけるサラ系種牡馬としては健闘と言える結果であった。母の父としても京都4歳特別2着のテルノシンゲキを出したが、現存している子孫は少ない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キタノダイオー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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