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キッド級ミサイル駆逐艦(キッドきゅうミサイルくちくかん Kidd class guided missile destroyers)は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦の艦級。 艦名は第二次世界大戦(真珠湾)にて戦艦「アリゾナ」艦上で戦死したアイザック・キャンベル・キッド (Isaac C. Kidd) 海軍少将に因んで命名された。その他の艦名も太平洋戦争中に戦死した少将の名にちなんでいる。 2006年までに中華民国(台湾)に全艦売却されて、基隆級駆逐艦 (Kee Lung class) として運用されている。 == 来歴 == 本級は元来、1970年代後半、パフラヴィー朝統治下のイラン海軍向けに開発された。この時期のイランは、モハンマド・レザー・パフラヴィー国王の親欧米路線と潤沢なオイルマネーを背景に軍備拡張を進めており、空軍にはF-14戦闘機、陸軍にはM60A1戦車などの新鋭兵器が導入されていた。 当時のイラン海軍は、第二次世界大戦中型のバトル級駆逐艦やアレン・M・サムナー級駆逐艦を主力としていた。1971年から1972年にかけて、イギリス製のサーム級フリゲートが導入されたが、これは1,400満載排水トンと比較的小型であり、より大型で強力な戦闘艦が求められた。このことから、イラン海軍は、スプルーアンス級駆逐艦の船体をベースにバージニア級原子力ミサイル巡洋艦の武器システムを搭載したミサイル駆逐艦を開発するように要求した。イラン海軍はペルシア湾などにおける洋上航空管制や両用部隊の護衛を目的として、4隻を発注した。なお、アメリカ海軍はかつて、スプルーアンス級とファミリー化したミサイル駆逐艦(DXG)を配備しようと構想し、コスト面の問題などから断念したという経緯があったが、このイラン海軍向けのミサイル駆逐艦は、このDXG構想を再現したものということもできた。 しかし1979年に発生したイラン革命によってパフラヴィー朝は打倒され、イランではイスラム共和制が成立した。さらに11月に発生したイランアメリカ大使館人質事件によってアメリカとの関係は決定的に悪化し、アメリカは、イランが発注した全ての軍需物資の輸出を差し止める決定を下した。これにより、建造と艤装の最中であった、イラン向けの4隻のミサイル駆逐艦も、アメリカ国内に留めおかれることとなった。これらの艦の行き先については、他国への輸出も含めていくつかの選択肢が検討されたのち、1981年から1982年にかけてアメリカ海軍に就役した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キッド級ミサイル駆逐艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kidd-class destroyer 」があります。 スポンサード リンク
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