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キトの市街(キトのしがい)〔日本語名は、ユネスコ世界遺産センター (1997)、世界遺産アカデミー (2009) などによる。ほかの訳は後述を参照。〕は、エクアドルの首都キトの旧市街を対象とするUNESCOの世界遺産リスト登録物件であり、アーヘン大聖堂(ドイツ)、ラリベラの岩窟教会群(エチオピア)、イエローストーン国立公園(アメリカ合衆国)などとともに1978年に登録された最初の世界遺産12件のひとつである。キトの市街は保存状態の良好さが高く評価されている歴史地区であり、16世紀には南米大陸におけるキリスト教布教の拠点だったことから、かつては「アメリカ大陸の修道院」の異名をとった〔ユネスコ世界遺産センター (1997) p.138〕。市街には当時を偲ばせる様々な建築様式の聖堂・修道院などが数多く残っている。登録名は「キト市街」〔日本ユネスコ協会連盟 (2013) 『世界遺産年報2013』朝日新聞出版、p.35〕〔古田陽久 古田真美 監修 (2011) 『世界遺産事典 - 2012改訂版』シンクタンクせとうち総合研究機構、p.156〕〔水村 (2002)〕〔、「キト旧市街」〔大平ほか (1998)〕などとも訳される。 == 歴史 == エクアドルの首都キト(サン・フランシスコ・デ・キト)は標高2850 m に位置している〔『コンサイス外国地名事典』第3版、三省堂、1998年〕〔。その国名(エクアドルは赤道の意味)が示すように、赤道直下に位置する国だが、その標高の高さに起因する過ごしやすい気候は、都市の発展にも寄与した〔。 キトの建設は1534年のことで、インカの武将ルミニャウイの追撃の途上でこの地に入ったセバスチャン・デ・ベナルカサスによるものである〔大平ほか (1998) p.110〕。スペイン入植以前のインカ人都市は、スペイン人の侵略に抵抗しようとする住民自らによって破壊されたため〔ユネスコ世界遺産センター (1997) p.139〕、その痕跡は残っていない〔ICOMOS (1978) f.3〕。 1543年に正式にスペインの植民地支配が開始されると、独立広場を中心として格子状に街路が形成され、さまざまな建物が並ぶようになった〔。スペイン植民都市は建設に関して様々な規格が存在しており、広場を中心とするキトの市街もそれに倣っている〔ユネスコ世界遺産センター (1997) p.138〕。他方で、キトは傾斜地に規格化された都市計画を持ち込んだ都合上、急勾配の街路や階段が見られる〔ユネスコ世界遺産センター (1997) p.140〕。 様式は時代ごとに変遷し、旧市街ではルネサンス様式、バロック様式、ムデハル様式などを見ることができる〔。キトに進出した修道会はフランシスコ会、ドミニコ会、イエズス会など様々で、彼らが築いた多くの宗教建造物が立ち並んだキトは、前述の通り「アメリカ大陸の修道院」ないし、「南アメリカの修道院」〔の異名をとった。 1917年の大地震〔世界遺産アカデミー (2009) pp.199-200〕、1987年の大地震〔などでたびたび被災したが、歴史地区の保存状態の良好さはラテンアメリカで随一と評価されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キトの市街」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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