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キベホの聖母(キベホのせいぼ)(フランス語:Notre-Dame de Kibeho)と は、1981年11月28日から1989年11月28日にわたって、ルワンダの南東にある町のキベホに住む若い女性たちに起こった聖母の出現である。なお、この時、聖母は自分自身を"Nyina wa Jambo"(世界の母)と名乗っている。この聖母の出現事例では、幻視者のうち17歳から21歳の女性3名には個々に聖母が出現しており、カトリック教会承認となるのは、この3名の事例にのみである。他にも女性3名男性1名の幻視者が名乗り出ているが、未承認となっている。〔 The Mircle Hunter Kibeho, Rwanda (1981-1989)〕 1988年8月15日、カトリック教会の地元司教より公式に崇敬を認可され、2001年7月2日、教皇庁より承認された。〔 ==御出現== 1981年11月28日、午後12時35分にアルフォンシーヌが学校の食堂で「私の娘よ。」と言う声を聞いた。アルフォンシーヌが「あなたは誰?」と訊ねると、その声は次のように告げた。「"Nyina wa Jambo"世界の母と言う意味です。私はあなたの祈りを聞き、あなたを落ち着かせるために来ました。あなたの友人たちは、それほど強い信仰を持っていません。なので、私はあなたの友人たちに信仰を持ってほしい。」〔 この後に1982年からアナタリーが2年間近くの聖母の出現を受け、その後マリー・クレールが6ヶ月の出現を受けた。一番初めに出現を受けたアルフォンシーヌの最後の出現は1989年11月28日で約8年間の期間であった。〔 これらの出現の中で聖母は強くロザリオの祈りをするように求めた。さらに、苦行・償いと断食を求めた。〔 彼女らを通して聖母は、愛を持って心を満たし、罪と邪悪な行為を拒否するようにも求めた。彼女らは聖母に幻視を見せられたが、当初は楽しいものであった。しかしながら、1984年のある日から、幻視はバラバラの死体や破壊行為となった。聖母は、ルワンダ人が彼らの心を更新し、悪払拭しなかった場合は、大量虐殺があるだろうと警告したという。彼女らが見せられた残虐な幻視はルワンダ内戦の光景さながらであった。この幻視が決め手となり、彼女らへの聖母の出現は地元司教及び教皇庁が承認した。〔〔"Remembering Rwanda", ''The Monitor'', January 20, 2012, Diocese of Trenton 〕 〔Linskey, Regina. "Our Lady of Kibeho: Forgotten apparitions", Catholic News, Singapore, Vol. 58, No. 25, December 7, 2008 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キベホの聖母」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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