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金 大中(キム・デジュン、朝鮮語:、1925年12月3日〔戸籍上の生年月日である。自叙伝では1924年1月6日生としている。読売新聞8月18日付記事 参照。〕 - 2009年8月18日)は、大韓民国の政治家、第15代大統領(在任:1998年 - 2003年)。本貫は金海金氏。号は「後廣」(フグァン、)。日本名は豊田大中( - 1945年)。ニックネームは「忍冬草」。略称は「DJ」。カトリック教徒で、洗礼名は「トマス・モア」。立命館大学第37号名誉博士。 慶煕大学大学院修了。 == 来歴 == === 政界入り === 1925年、全羅南道荷衣島(現在の新安郡)に生まれるが、本貫はこの地域と対立していた慶尚道の金海市である。1943年に木浦公立商業学校(現全南第一高校)卒業、慶煕大学大学院経済学科2年課程修了。 運送業を経て、1954年の総選挙で国会議員に初挑戦するも落選。張勉に引き立てられ、民主党スポークスマンを務める。以降も、当時の李承晩大統領の政策に反対する姿勢で活動したが、1959年、1960年と立て続けに落選を経験した。1961年に補欠選挙で国会議員に初当選したが、朴正煕による軍事クーデターにより無効となった。 その後、野党の代表的な政治家として頭角を現し、1963年と1967年の第6代、第7代、国会議員選挙で連続当選した結果、1970年9月に新民党の大統領候補に指名された。翌1971年の大統領選では、現職の朴正煕に97万票差にまで迫った(朴正煕634万票、金大中537万票)が、落選。以後、朴正煕の政敵としてつけ狙われるようになり、大統領選の直後には交通事故を装った暗殺工作に遭い、股関節の障害を負った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金大中」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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