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金 元鳳(キム・ウォンボン、1898年8月13日(陰暦) - 1958年? 11月)は、中国の軍人、韓国の独立運動家であり、北朝鮮の政治家である。号は若山 () 。 義烈団・朝鮮義勇隊で活動し、大韓民国臨時政府の光復軍副司令官となる。日本の敗戦後、1948年に民主主義民族戦線(以下、民戦)などで活動しながら、金奎植・金九などと共に南北連席会議に出席した後、韓国に戻らず、北朝鮮に残留。北朝鮮に社会主義政権が樹立された後は、朝鮮労働党中央委員会中央委員、最高人民会議常任委員会副委員長などを歴任した。 最初の妻である朴次貞は、北朝鮮の国家元首を務めた金枓奉の姪。 == 生涯 == === 義烈団組織 === 慶尚南道密陽生まれ。金若水やイ・ヨソンなどと交流しながら、中央高等学校(ソウル)を卒業した後、独立運動に意義を見出し満州に渡った。新興武官学校を卒業後、1919年に要人暗殺と機関破壊を目的とする武装抗日運動組織・義烈団を組織し、何度となく直接行動を行なった。 この後、組織的な抗日武装闘争のために、1926年1月、崔林の名で黄埔軍官学校に入学し、歩兵第1団第5連に配属された。ここで獲得した知識及び社会主義思想を基に、1930年朝鮮共産党再建同盟、朝鮮民族革命党を組織して、活動した。1926年10月、黄埔軍官学校第4期歩兵科を卒業。卒業後も政治部教官として同校に留まり、北伐にも参加した。1927年8月、金元鳳は周恩来、朱徳などが主導した中国共産党による南昌蜂起に参加した。しかし共産党政府と、国民党勢力の間で行なわれた殺戮戦を通して、イデオロギーは欺瞞であると気付いた彼は、広州起義には参加しなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金元鳳」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kim Won-bong 」があります。 スポンサード リンク
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