翻訳と辞書
Words near each other
・ キム・ウィミョン
・ キム・ウィロビー
・ キム・ウォニ
・ キム・ウォニョン
・ キム・ウォヌン
・ キム・ウォンギ
・ キム・ウォンギュン
・ キム・ウォンジン
・ キム・ウォンソプ
・ キム・ウォンヒョン
キム・ウォンボン
・ キム・ウォーウィック
・ キム・ウォール
・ キム・ウォール (アメリカ合衆国の女優)
・ キム・ウォール (イギリスの俳優)
・ キム・ウジュン
・ キム・ウナ
・ キム・ウニョン
・ キム・ウビン
・ キム・ウルトン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

キム・ウォンボン ( リダイレクト:金元鳳 ) : ウィキペディア日本語版
金元鳳[きむ うぉんぼん]

金 元鳳(キム・ウォンボン、1898年8月13日(陰暦) - 1958年? 11月)は、中国の軍人、韓国独立運動家であり、北朝鮮政治家である。号は若山 () 。
義烈団朝鮮義勇隊で活動し、大韓民国臨時政府光復軍副司令官となる。日本の敗戦後、1948年民主主義民族戦線(以下、民戦)などで活動しながら、金奎植金九などと共に南北連席会議に出席した後、韓国に戻らず、北朝鮮に残留。北朝鮮に社会主義政権が樹立された後は、朝鮮労働党中央委員会中央委員、最高人民会議常任委員会副委員長などを歴任した。
最初の妻である朴次貞は、北朝鮮の国家元首を務めた金枓奉の姪。
== 生涯 ==

=== 義烈団組織 ===
慶尚南道密陽生まれ。金若水やイ・ヨソンなどと交流しながら、中央高等学校(ソウル)を卒業した後、独立運動に意義を見出し満州に渡った。新興武官学校を卒業後、1919年に要人暗殺と機関破壊を目的とする武装抗日運動組織・義烈団を組織し、何度となく直接行動を行なった。
この後、組織的な抗日武装闘争のために、1926年1月、崔林の名で黄埔軍官学校に入学し、歩兵第1団第5連に配属された。ここで獲得した知識及び社会主義思想を基に、1930年朝鮮共産党再建同盟、朝鮮民族革命党を組織して、活動した。1926年10月、黄埔軍官学校第4期歩兵科を卒業。卒業後も政治部教官として同校に留まり、北伐にも参加した。1927年8月、金元鳳は周恩来朱徳などが主導した中国共産党による南昌蜂起に参加した。しかし共産党政府と、国民党勢力の間で行なわれた殺戮戦を通して、イデオロギーは欺瞞であると気付いた彼は、広州起義には参加しなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「金元鳳」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kim Won-bong 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.