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金 東柱(キム・ドンジュ、1976年2月3日 - )は、大韓民国のソウル特別市の元プロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。 第1回WBC韓国代表として四番を打った選手。野球韓国代表の常連で、シドニーオリンピック野球韓国代表、北京オリンピック野球韓国代表として出場経験を持つ。2009年1月に韓国代表引退を表明し、第2回WBCには出場しなかった。 == 来歴・人物 == 高校時代からパワーと正確性を兼備した大型打者として鳴らした。高校3年生の時の1993年の秋の1次ドラフトでOBベアーズの指名を受けたが、本人は高麗大学への進学を選択。大学卒業後、1993年の1次ドラフトでの指名で永久交渉権を持っていたOBベアーズに入団した。新人の時から、レギュラーのサードの座を奪取して、チームのポストシーズン進出にも貢献。以後、韓国を代表する右の大砲としてのイメージを確立して、当時ウッズ、金東柱、沈正洙(シム・ジョンス)で構成された斗山のクリーンナップは相手に脅威の対象になっていた。センターまで125メートル、両翼まで100メートルで韓国で最大級の規模の蚕室球場で場外ホームランを打った唯一の選手である。 長打力だけでなく、正確性にも優れて2003年には首位打者を獲得した好打者。2004年オフには成績不振などから引退発言をしたが、2005年は故障で終盤欠場したものの打率.302、10本塁打と復活した。 は第1回WBC1次リーグの対チャイニーズタイペイ戦で肩を脱臼して全治3ヶ月の重傷を負い(なお、鄭成勲と途中交代している。)、わずか43試合の出場にとどまったが、には119試合に出場し、打率ランキング5位の成績を残した。ちょっと重さを感じさせる体格で膝に故障を持ち、守備に関しては失策が多い。2004年以降は、シーズン20本塁打を越えたことが無くなり、代わりに長打力もあるが柔らかいバッティングもできる中距離打者に変貌した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金東柱」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kim Dong-joo 」があります。 スポンサード リンク
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