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キャサリン・ドレクセル(Katharine Drexel、1858年11月26日-1955年3月3日)は、アメリカ合衆国のカトリック教会の修道女、聖人。 == 生涯 == キャサリンはペンシルベニア州フィラデルフィアのオーストリア系移民の裕福な家庭に生まれ、敬虔なカトリック信者として育った。彼女の両親は慈善活動を行い自宅を貧しい人に開放し彼らを手厚くもてなした。それが彼女に大きな影響を与えることになる。当時、フィラデルフィアでは略奪行為が行われ貧困層の住民が苦しんでいた。1861年から1865年にかけてアメリカ国内で繰り広げられた南北戦争は彼女に大きな苦しみをもたらした。ある日、キャサリンは父に旅行に連れられアメリカ大陸を横断した。その旅行で彼女の目に差別や貧困、略奪に苦しみ権利を奪われていたネイティブ・アメリカン(先住アメリカ人、インディアン)や元奴隷であったアフリカ系住民(黒人)の姿が映った。彼女はその現実を目の当たりに彼らの為にしようと決心した。 旅行後、父が死去し義母の介護を通じて彼女の心は徐々に開いてきた。キャサリンは父から相続した財産をネイティブ・アメリカンらを助ける為に使い宣教者として誓願を立てた。そして「聖体修道女会」を創設しネイティブ・アメリカンらの生活改善や教育に力を注いだ。また、スー族の酋長らと友情を深め救援活動を行い1942年までに彼らのために教会、学校を設立しネットワークを広げ、黒人の教師を雇用し彼らに給料を払った。また、アメリカでは初となるアフリカ系住民のためのザイヴィアー大学をニューオーリンズで設立し多くの黒人大学生を輩出し世に送り出した。しかし、ドレクセルと同じ多くの白人(アングロサクソン、アイルランド系らをさす)はここよく思わず、特に南部では白人至上主義の団体、クー・クラックス・クラン(KKK)からの脅迫にもあった。ドレクセルは彼らの妨害に屈せず自分の信念を貫き通した。 1955年、ドレクセルは96歳で死去し、アメリカ合衆国内に学校63校、修道女が500人以上が在籍し教鞭をとっていた。ドレクセルは2000年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キャサリン・ドレクセル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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