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キャロライン・オブ・アーンズバック : ミニ英和和英辞書
キャロライン・オブ・アーンズバック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

キャロライン・オブ・アーンズバック : ウィキペディア日本語版
キャロライン・オブ・アーンズバック[ちょうおん]

キャロライン・オブ・アーンズバック(Wilhelmina Charlotte Caroline of Ansbach, 1683年3月1日 - 1737年11月20日)は、イギリス国王ジョージ2世の王妃。父はホーエンツォレルン家支流のブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨハン・フリードリヒ、母はザクセン=アイゼナハヨハン・ゲオルク1世の娘エレオノーレドイツ語名はカロリーネ・フォン・アンスバッハ(Caroline von Ansbach)またはブランデンブルク=アンスバッハ(Caroline von Brandenburg-Ansbach)。
== 生涯 ==

=== 幼年時代 ===
アンスバッハで生まれ、4歳の時父を失う。1692年まで母エレオノーレと共にドレスデンで暮らすが、同年4月に母がザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク4世と再婚し、ライプツィヒへ移ったため、後見人となった同族のブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世(後に初代プロイセン王フリードリヒ1世となる)に引き取られ、ベルリンで暮らす。フリードリヒ1世の妃ゾフィー・シャルロッテは後のイギリス国王ジョージ1世の妹であったが、兄妹の母であるハノーファー選帝侯ゾフィーがベルリンの娘の館をたびたび訪問するうち、賢明な少女であったカロリーネを見知ったといわれる。ゾフィーは後にイギリス国王ジョージ2世となる自分の孫の嫁探しに熱心であった。
ゾフィー・シャルロッテ王妃の下には哲学者・数学者でハノーファー選帝侯家の外交顧問を務めていたライプニッツが訪問することもあり、カロリーネは彼に指導を受けた。この頃、後の神聖ローマ皇帝カール6世との縁談があったが、プロテスタントであった彼女はカトリックへの改宗を拒み、ライプニッツを通じて縁談を断った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キャロライン・オブ・アーンズバック」の詳細全文を読む




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