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キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区 : ミニ英和和英辞書
キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区[きゅらそーとうのみなとまちうぃれむすたっとしないのれきしちく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [みなと]
 【名詞】 1. harbour 2. harbor 3. port 
港町 : [みなとまち]
 (n) port city
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
: [し]
  1. (n-suf) city 
市内 : [しない]
  1. (n,adj-no) (within a) city 2. local 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
地区 : [ちく]
 【名詞】 1. district 2. section 3. sector 
: [く]
 【名詞】 1. ward 2. district 3. section 

キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区 : ウィキペディア日本語版
キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区[きゅらそーとうのみなとまちうぃれむすたっとしないのれきしちく]

キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区(キュラソーとうのみなとまちウィレムスタットしないのれきしちく)は、カリブ海に浮かぶオランダ自治領キュラソー島にあるUNESCO世界遺産リスト登録物件である。名称のとおり、主都ウィレムスタットの中心市街が対象となっている。アムステルダムの運河沿いを髣髴とさせるような特徴的な破風の建物が美しいパステルカラーに彩られた町並みは、オランダ海上帝国の植民都市として建設され、熱帯地方の気候に順応しつつ発展したかつての都市計画を伝えるものである。1997年に登録された当初は、「オランダ領アンティルの港町ウィレムスタットの歴史地区」だったが、オランダ領アンティルの解体とキュラソー島の単独自治領化を踏まえ、2011年に現在の名称に変更された。
== 歴史 ==

:''ウィレムスタットも参照。以下の太字は、世界遺産構成地区や建造物を指す。''
キュラソー島(クラサオ島)は1499年アメリゴ・ヴェスプッチらによって発見され、以降スペイン領となっていたが、1634年オランダ西インド会社の主導でオランダが奪取した〔布野 (2005) p.387〕。スペインは1642年まで断続的に奪回しようとしたが失敗した〔布野 (2005) p.423〕。オランダとスペインがキュラソー島をめぐって争ったのは、近海がアメリカ大陸の銀をスペイン本国に輸送するルートのひとつになっていた戦略的価値によるもので〔布野 (2005) pp.422-423〕、オランダは奪取後すぐにスペイン船襲撃の拠点として、アムステルダム要塞を築いた〔布野 (2005) p.424〕。
このアムステルダム要塞の周辺に発達したのがプンダ地区 (Punda) であり、要塞周辺の市壁に囲まれた格子状の街路を持つ地区として建設された〔布野 (2005) p.414〕。こうした要塞に隣接する市壁に囲まれた都市という構造は、アンボイナインドネシア)、スラバヤ(同)、レシフェブラジル)などにも建設されており、オランダの植民都市の典型とされている〔布野・山田・山本 (2005) p.182〕。
要塞は1648年にオランダ・スペイン間の講和条約が成立すると当初の意義を失い、大西洋三角貿易の中継地点へと中心的な機能を変化させた〔布野 (2005) pp.424-425〕。すなわち、オランダ、西アフリカベネズエラの交易において、西アフリカからの黒人奴隷をベネズエラのカカオプランテーションに供給する中継地点を形成するとともに、ベネズエラからヨーロッパへのカカオの出荷の集散地として機能したのである〔布野 (2005) p.425〕。こうした機能のための商港の建設は1670年代のことであり〔布野 (2005) p.424〕、直接支配したオランダ西インド会社による自由貿易港の宣言は1675年のことであった〔布野 (2005) p.388〕。
1680年代以降にはプンダ地区がウィレムスタットと呼ばれるようになったが〔、次の市街の拡大は西側のセント・アナ・バーイ(セント・アナ湾)対岸で行われた。それがオットロバンダ地区 (Otrobanda) 〔『地球の歩き方 キューバ&カリブの島々 '13~'14』(ダイヤモンド社発売、2013年)のように「オトロバンダ」と表記する文献もあるが、この記事では布野 (2005) に従う。〕である。オットロバンダは18世紀初頭のリフ要塞の建設に始まるが、周辺の住宅地は当初、富裕層や上級官吏が居住したプンダ地区と違い、労働者階級が中心となった〔布野 (2005) p.389〕。のちには解放奴隷たちも多く住むことになる〔布野 (2005) p.390〕。
オランダはもともと自国の都市計画をそのまま持ち込むことを企図しており、アムステルダム要塞の様式や旧市街の街路などにはそれが顕著だが〔布野 (2005) pp.412-413〕、18世紀になると、曲線的な破風に特色のある「キュラソー・バロック」と呼ばれる建築様式が発達した〔ICOMOS (1997) p.88〕。さらに、1817年には総督の命令でファサードが鮮やかなパステルカラーで彩られることになった〔。ウィレムスタットの町並みは当初、オランダ船にバラストとして積まれていたレンガを使って建てられていたものの、それでは足りなくなって地元の珊瑚石が使われた。しかし、脆弱な珊瑚石を質の悪いモルタルで固めた建材は崩れやすく、補修のたびに表面の白いプラスターも塗りなおす必要があった〔松本 (2002) p.6〕。これをパステルカラーで塗ることになったのは、白い壁面に照り返される強い太陽光の有害性を説いた医師がいたことによるという〔。現在では法的拘束力は失われているが、地元住民は自発的にパステルカラーで塗り直している〔。
プンダ地区の北側に入り込んだワーイガット湾の対岸でも17世紀末から18世紀初頭にかけて、あらたな開発が行われた。それがスカロー地区 (Scharloo) である。スカロー地区の開発は18世紀半ばに防衛面の不備を理由として中断が命じられたが、19世紀半ば以降に活発化した〔布野 (2005) pp.389-390〕。その主力を担ったのがアムステルダム経由で流入したユダヤ系移民セファルディム)たち〔セファルディムたちは15世紀末のイベリア半島からの追放後、アムステルダムを主要な移住先の一つとしていた(布野 (2005) p.427)。〕で、彼らは1866年のプンダ地区の市壁撤去でも資金を供給している〔布野 (2005) p.390〕。彼らがそれと引き換えに手に入れたのが、ワーイガット湾奥に位置するピーターマーイ地区 (Pietermaai) の土地であり、17世紀以来、散発的にしか開発されてこなかった地区が、19世紀後半にユダヤ人居住区として急速に整備されていった〔。
1888年にはプンダ地区とオットロバンダ地区を結ぶクィーン・エマ橋が完成し、セント・アナ・バーイ両岸の人口移動を促進した。その結果発展したのが、オットロバンダ北部、およびオットロバンダ北西に隣接するコーテイン地区 (Kortijn) である〔布野 (2005) p.391〕。スカロー、ピーターマーイ、オットロバンダ北部、コーテインなどの19世紀に開発が本格化した地域は、キュラソー・バロックとは異なり、直線的な破風を特色とする様式が導入されている〔。
こうした都市の歴史的な町並みを守ろうとする動き自体は1913年には見られたが、実効性のある対策に結びつく動きは第二次世界大戦以降のことであった。1959年にはウィレムスタットの建造物群に関する最初の論文が公刊されている〔ICOMOS (1997) p.89〕〔。1969年5月の暴動の際には、プンダ地区やオットロバンダ地区の歴史地域でも、火災による被害を受けた〔ICOMOS (1997) p.89〕。1970年代以降の文化財関連法制の保護対象となっている〔ICOMOS (1997) pp.88-89〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区」の詳細全文を読む




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