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キョウエイタップは日本の競走馬。おもな勝鞍はエリザベス女王杯。ほかにサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別。主戦騎手は横山典弘。 == 戦績 == 1989年8月、新潟競馬場の新馬戦(芝1000m)で蛯名信広を背にデビューし、1番人気に支持されるも5着に敗れる。続く未勝利戦(東京ダート1400m)では鞍上に以後13戦手綱をとることになる横山典弘を迎え、初勝利をあげる。横山は当時デビュー4年目、21歳と売り出し中の若手騎手であった。 1戦を挟み、年明け初戦となるクイーンカップでは重賞初出走ながらも、8番人気を覆す4着と健闘すると、うぐいす賞(500万円以下)を勝利しオープンクラスに昇格する。 続く報知杯4歳牝馬特別では2番人気に支持されたが、10着と大敗し桜花賞への出走は断念。忘れな草賞(オープン特別・4着)からサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別へ進むと9番人気の低評価であったがダイイチルビーをクビ差で抑え、重賞初制覇を達成する。優先出走権を得て、初めてのJRAGIとなる優駿牝馬(オークス)では、最後の直線で伸びがなくエイシンサニーから1.0秒離される6着に終わった。 その後休養を挟み、秋はクイーンステークス6着、牝馬東京タイムズ杯9着と結果が出ないまま、エリザベス女王杯に出走する事になる。評価は秋の凡走を受けて8番人気と低かったが、4コーナーからスパートをかけ、ゴール150m手前で内から鋭く差し込み、後続を一気に突き放し、騎乗していた横山典弘と共に初のGIタイトルを獲得した。なお、横山は先頭に立ったあとゴール手前で勝利を確信すると右手を大きく突き上げてガッツポーズを行ってしまい戒告処分を受けている。 続く第35回有馬記念では見せ場なく13着に沈み、古馬になってからも状況は厳しく、掲示板にも載る事のできない日々が続いたが、1年ぶりの牝馬限定戦となったターコイズステークス(オープン特別)では少数頭も幸いし、1年ぶりの勝利をあげた。 翌年の1992年も現役を続行したが、金杯(東)、中京記念と見せ場を作る事はできず、中京記念を最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キョウエイタップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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