|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
キョウエイプロミスは、日本の競走馬。おもな勝ち鞍は天皇賞(秋)、毎日王冠、ダイヤモンドステークス。 主戦騎手は所属騎手の柴田政人。 ※馬齢は旧表記(数え年)とする。 == 戦績 == 1979年に美浦の高松邦男厩舎に預けられた。4戦して初勝利したのは12月9日の中山競馬場だった。翌1980年4歳となり、3月には特別戦で2勝目を上げるが、スプリングステークスで13着するなどクラシック路線ともほぼ無縁だった。目立ったのは函館記念5着で、その後1年間脚部不安で休養に入った。 1年間休養の後の5歳となり、1981年8月の函館競馬場で復帰した。5戦未勝利で終わるが、12月の暮れにステイヤーズステークスで2着となり、翌1982年の6歳に入ってからは、自己条件の800万下特別を勝ち上がり、4月のダイヤモンドステークスで勝利、初重賞制覇となった。次走の宝塚記念はモンテプリンスの4着と、半年間で上位クラスと互角に戦えるまで成長した。秋に入り、毎日王冠で重賞2勝目を挙げ、天皇賞(秋)で3番人気に支持されるも7着に敗れた。続く目黒記念も1番人気の13頭立ての12着と大きく評価を落とすものの、12月の有馬記念ではヒカリデュール、アンバーシャダイに次ぐ3着に入った。 1983年の7歳時は脚部不安が再発し、春は全休となった。その後秋に毎日王冠で復帰して3着、そして再び天皇賞(秋)に出走した。この時点では日本最強馬の一角アンバーシャダイが天皇賞(春)以来の出走のため、1番人気タカラテンリュウと人気を分け合うが、レースは逃げるタカラテンリュウを直線で交わして1 1/2身差で勝利し、初の大レース制覇となった。鞍上の柴田もこの天皇賞で800勝を達成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キョウエイプロミス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|