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キリグア : ウィキペディア日本語版
キリグア

キリグア (Quiriguá) は、グアテマラ東端部、イサバル県モタグア川中流域にある古典期に繁栄したマヤ遺跡のひとつである。
現在は、1981年世界遺産に登録され、鉄道路線とモタグア川に挟まれたバナナ園の中央部に保存されている。
==歴史==

=== キリグア王朝の起源 ===
キリグアに人が住み始めたのは紀元200年ごろだと考えられているが、本格的に王朝が築かれたのは5世紀にはいってからである。まず、コパン
キニチ・ヤシュ・クック・モー(最初の太陽・ケツアル鳥・コンゴウインコ)王の後見のもとにトク・「キャスパー」〔「キャスパー」に当たる文字が解読されておらず、文字の形がアメリカの漫画のお化け「キャスパー」w:en:Casper the Friendly Ghostに似ていることからのあだ名である。〕王が426年長期暦で8.19.10.11.0.)に即位したのがはじまりである。このようにキリグアはコパンの衛星都市としてカリブ海とグアテマラ高地をつなぐ通商路で、ヒスイカカオ豆、黒曜石の産地があるモタグア川流域を把握する拠点として築かれた。この時代に築かれた建物は3C-1と後のキリグアの中心部から4km離れた陸の上に築かれたグループAである。次に名前のわかっている王は、トゥトゥーム・ヨール・キニチであって、455年 (9.1.0.0.0.)のカトゥンの終了を祝って石碑を建てたことだけが記録としてわかっているだけである。キリグアで現在のところ確認されている最も古い石碑はグループAの石碑U(記念碑21号)である。石碑Uには、9.2.5.0.0.(480年)の日付が刻まれ、コパン王と思われるオチキン・カロームテの称号を持つ人物が後見してキリグアの「支配者3」が重要な儀式をおこなったことが刻まれている。その次に古い石碑が記念碑26号であって、493年の日付と3代目と4代目の王について記してあると思われる。この石碑は、グループ3C-7で発見された残りの部分が、1970年代にデルモンテ社がバナナ園を拡大しようとして掘削した溝の中から偶然発見され、つなぎ合わせると復元することができた。石碑Uと記念碑26号は、ティカルの石碑2号やワシャクトゥンの石碑20号の様式によく似た石碑の正面と側面を包むようにをもった王の姿が刻まれるラップアラウンド様式である。
6世紀から7世紀のはじめごろになるとキリグアは、ハリケーン火山の噴火のような大規模な自然災害に伴って興ったと思われる洪水で、古典期前期の遺構は分厚いシルト層に覆われた。グループAと3C-1は、埋もれずに残ったが、あらたにグループAの4km東に建設活動が始まった。それがグループ1Aと1Bである。グループ1Aで最も古いのは、「巨大なアハウの祭壇」と呼ばれる祭壇Lで、9.11.0.0.0.(652年)の日付が刻まれている。祭壇Lには、足を組んだ王の姿でアハウの日付をあらわし、キリグア王家の称号であるカウィール神の名前と支配者5の名前が不明瞭であるが刻まれている。また、祭壇Lの王の肖像の周囲を囲むように刻まれた銘文には、コパン王「煙イミシュ」の名前があり、9.11.0.0.0.から231日後によって行なわれた出来事について記している。現在のところ、「ツアク・フリ」と呼ばれる、カトゥンの終了に際して行なわれた降霊を目的とした踊りを行なう儀式について記述したという説が有力である。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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