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キルキス級戦艦(きるきすきゅうせんかん Kilkis class battleships)は、ギリシャ海軍がアメリカより購入した準弩級戦艦の艦級である。2隻が就役した。 == 概要 == ギリシャは、オスマン帝国と長年の因縁のあるライバル国であった。この両国が対決したバルカン戦争にギリシャは辛くも勝利したが、オスマン帝国は、1910年代に入ると老朽化した装甲艦の代わりとして海上戦力の増強を図った。そしてオスマン帝国は、イギリスのヴィッカーズ社に超弩級戦艦「レシャド5世(Reshad V)」、アームストロング・ホイットワース社に「レシャディハミス(Reshad-i-Hamiss)」の2隻の戦艦、そして近代的な軽巡洋艦2隻を発注した。(後にアームストロング社と契約破棄に至った。) この時期のギリシャ海軍の主力には装甲巡洋艦「イェロギオフ・アヴェロフ」があったが、その主砲は23.4cm砲4門であり、オスマン帝国の34.3cm砲10門を搭載する新型戦艦に対して劣勢を否めなかった。したがってギリシャ海軍も、ドイツ帝国のヴルカン造船所に35.6cm砲8門を持つ超弩級戦艦「サラミス」、フランスのペノエ社サン=ナゼール造船所にプロヴァンス級戦艦(34cm砲10門、速力20ノット)の準同型艦「ヴァシレフス・コンスタンチノス(Vasilefs Konstantinos)」を発注して対抗を図った。しかし両国とも超弩級戦艦の就役を待たず、1912年に第一次バルカン戦争が勃発してしまったが、ギリシャ海軍は既存の艦艇を適切に運用し、辛くもオスマン帝国海軍に勝利した。しかしその後、オスマン帝国はアームストロング社が建造中で1914年中には完成するであろう弩級戦艦を取得、これを「スルタン・オスマン1世(Sultan Osman I)」と命名して契約を結んだ。この戦艦は主砲に30.5cm砲14門を備え、速力22ノットを発揮し、当時のギリシャ海軍の主力であった「イェロギオフ・アヴェロフ」の速力は23ノットであることから、この敵艦からは僅差であるが完全に逃げ切ることができなかった。これに対抗可能なサラミスの竣工は1915年が予定されており、スルタン・オスマン1世の就役がより早期となることが判っていた。 この当時、海の向こうのアメリカ海軍では旧式化した艦艇の処分を進めており、ギリシャ政府にもキアサージ級戦艦の売却を持ちかけていたが、あまりに旧式すぎるためにギリシャ政府は断っていた。しかし、アメリカ海軍が持つ準弩級戦艦の中でも新型のミシシッピ級戦艦(30.5cm4門、20.3cm砲8門、17.8cm砲8門、速力17ノット)が提示された時は食指が動き、晴れて1914年7月にギリシア政府に購入された。「ミシシッピ」は「レムノス」に、「アイダホ」は「キルキス」と改名され、ギリシャ海軍に就役した。またギリシャ艦隊の主力艦と位置づけられた「キルキス」は艦隊旗艦となった。 余談であるが、アメリカにおける超弩級戦艦「ニューメキシコ級」は、本来2隻のみの予算しか議会で許可されていなかった。しかしミシシッピ級の売却資金により、追加でもう1隻の建造が許され、3番艦の名は「アイダホ」と名づけられた上、総数は3隻となった。アメリカ海軍時代に指摘されたミシシッピ級の大西洋における安定性や凌波性などの欠点は、地中海が穏やかな海域であったために表面化せず、航続性の短さも地中海で使用する分には充分であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キルキス級戦艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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