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キンカイチフジは、日本のアングロアラブ競走馬。 == 来歴 == 主戦騎手は岩崎幸紀だったが、のちに坂本敏美、安藤勝己という、東海地区の「二大天才ジョッキー」が鞍上となった。 1983年6月17日に笠松競馬場(以下、笠松)でデビューし初勝利。後2戦は敗戦したが、同年9月17日に行われたコスモジュニア(笠松)から破竹の15連勝を達成することになる。ジュニアキング(笠松)、オグリオー記念(笠松)、アラブダービー(笠松)、アラブ王冠(名古屋競馬場、以下名古屋)、名古屋杯(名古屋)の各重賞を制覇した当馬陣営は、1984年12月10日に開催される全日本アラブ大賞典(大井競馬場)への出走を決意。そして、これまで全15戦鞍上を務めた岩崎から、前年の同レースをトキテンリユウで制し、当時連対率が7割に達していたという坂本敏美に鞍上を替えた。レースは直線に入り、ローゼンガバナーとの競り合いとなったが、坂本は鞭を入れることなく、「馬なり」でローゼンをクビ差退け優勝。坂本は同レース連覇、そして笠松所属馬として初めて同レース制覇を果たした。 その後、脚部不安のため休養を余儀なくされ、1985年は9月の東海グローリ(笠松)から始動。また同年7月に坂本が落馬事故で大怪我を負ったため、鞍上は安藤勝己に替わった。全日本アラブ大賞典連覇を目指す当馬は、東海グローリ、オクトーバー特別(中京競馬場)を連勝。しかし11月8日の名古屋杯(名古屋)では、カネノキングに0.3秒差及ばず2着。ついに連勝記録は15で止まった。しかもレース後、再び脚部不安が発生したため大井遠征を断念するとともに、現役も引退することになった。 引退後、種牡馬となったが、1989年に腸ねん転のため、わずか四世代を残しただけで死亡した。 当馬の主な産駒として、全日本アラブ大賞典最後の優勝馬となったカサイオーカンや、中央競馬重賞時代のタマツバキ記念を2回制したネオアイクなどが挙げられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キンカイチフジ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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