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キングトップガンは日本の競走馬。おもな勝ち鞍に2011年目黒記念・函館記念。 == 戦歴 == 2006年6月のデビュー。以降翌2007年までに条件戦などで4勝をマーク、5歳となった2008年春に準オープンを勝ち上がりオープンクラスへと昇級する。 デビュー当時はダート中距離を使われてきた同馬であったが、管理調教師である鮫島は「実績はダートにあるけど、フットワークを考えれば芝のほうが合っている」〔2009年10月11日競馬エイト・鮫島師〕と評し昇級後はほぼ芝の中長距離でのレースが定着化する。 オープン入りを果たしたもののその後はダートOP特別競走での3着が1回あるのみで2桁着順を幾度も繰り返すなど苦戦を続けたキングトップガンは、2010年夏に2度目の骨折が判明。馬主らとの協議の結果、陣営は当時7歳という高齢馬であった同馬の内視鏡手術へと踏み切る。この決断が後の躍進へと繋がる。 翌2011年初頭の復帰後も以前同様に凡走を続け、「年齢的なものを感じる」という諦めの声も上がっていた〔2011年4月9日ケイバブック・寺井助手〕キングトップガンであったが、大阪-ハンブルクカップにて18頭中18番人気という低評価に反発し、2着という結果を出し関係者を驚かせ〔2011年4月24日東京スポーツ・寺井助手〕てから成績が一変し始める。「(前走と)似たような条件のここで走れば本物」〔2011年4月24日東京中日スポーツ・寺井助手〕と出走したメトロポリタンステークスでも僅差の内容、さらに「降雨で馬場が渋ればプラス」〔2011年5月28日日刊スポーツ・鮫島師〕と送り出した目黒記念ではその思惑どおり馬場が悪化する中、3年ぶりに51キロで乗った〔netkeiba 目黒記念結果 〕という横山典弘騎手を背に重賞初勝利を記録。「瞬発力は無いが渋とさで勝負するタイプ」〔2011年5月28日サンケイスポーツ・鮫島師〕と評されていた本馬に軽量ハンデと先行策から早め抜け出しの戦法が合わさった勝利となった。 キングトップガンは続いて出走した函館記念も制覇し重賞2連勝をマーク。暑さを避け涼しい時間に調教を施し、約2年ぶりに背負う斤量54キロの対策として調教時の鞍を重くするなど関係者の努力が実った一戦となる〔2011年7月25日日刊スポーツ〕。 その後は芝の中長距離競走で凡走を続け、ダートにも挑戦したが勝てず2012年11月21日に競走馬登録を抹消された。引退後は福島競馬場で乗馬となる〔キングトップガン号が競走馬登録抹消 JRA公式サイト 2012年11月21日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キングトップガン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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