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ジョー・“キング”・オリヴァー(Joe "King" Oliver、1885年12月19日~1938年4月10日)は、ジャズのコルネット奏者でバンドリーダーである。オリヴァーはミュートを使用した演奏を他に先駆けて開拓し、その演奏スタイルを詳細に楽譜に記した。オリヴァーは特筆すべき作曲家であり、「デッパーマウス・ブルース」("Dippermouth Blues")、「スウィート・ライク・ジス」("Sweet Like This")、「キャナル・ストリート・ブルース」("Canal Street Blues")、「ドクター・ジャズ」("Doctor Jazz")といった、いまでもよく演奏されている曲を書いた。オリヴァーはルイ・アームストロングの良き師であり教師であった。アームストロングのもっとも有名な 2 つの録音、「ウェスト・エンド・ブルース」("West End Blues")と「ウェザー・バード」("Weather Bird")は、オリヴァーの作曲である。オリヴァーの影響力は、ルイ・アームストロングが「もしジョー・オリヴァーがいなかったら、今日のジャズはなかっただろう〔 ; オンライン書籍 * 『Satchmo - My Life in New Orleans (1954)』フリー・ダウンロード * 『Satchmo - My Life in New Orleans』 〕」と主張するほどのものであった。 == 人生 == ジョセフ・オリヴァーは、アセンション郡ドナルドソンビルの近く、ルイジアナ州アベンに生まれ、青年時代にニューオーリンズに引っ越した。オリヴァーはニューオリンズ・ブラスバンドやダンス・バンドで、それに市の赤線地区であるストーリーヴィルでもコルネットを演奏していた。オリヴァーはトロンボーン奏者であるキッド・オリーと共にバンドを率いていたが、そのバンドは1910年代のニューオーリンズでもっともホットで最高のバンドだと考えられていた。オリヴァーは経済や人種間の垣根を越えてニューオーリンズで大変な人気を博した。オリヴァーは人気があり、重労働階級の黒人ダンス・ホールから白人社会で初めて社交界入りする少女のパーティーまで、演奏の仕事の需要はあった。 オリヴァーの未亡人ステラ・オリヴァーへのインタビューがテュレーン大学(Tulane University)のホーガン・ジャズ・アーカイブにあり、これによれば1919年にオリヴァーが演奏していたダンス・ホールで突然喧嘩が起り、オリヴァーとバンドの団員達は、喧嘩を起こした人達と一緒に警官に逮捕されてしまった。このことで、オリヴァーはジム・クロウ法のある南部を去る決心をしたのである。 カリフォルニア州での旅の後、キング・オリヴァーと彼のクレオール・ジャズ・バンドがロイヤル・ガーデンズ(のちにリンカーン・ガーデンズと改名)〔シカゴのダンスホール。Lincoln Gardens 。〕で演奏していたことで、1922年までに、キング・オリヴァーはシカゴでジャズの王様となっていた。このバンドの事実上すべてのメンバー達は、有名なソロイストとして経歴を積んでいるところだった。パーソネルはオリヴァーがコルネット、プロテジェ(いわゆる弟子)のルイ・アームストロングが第二コルネット、ベイビー・ドッズがドラムス、ジョニー・ドッズがクラリネット、リル・ハーディン(Lil Hardin。のちのアームストロングの妻)がピアノ、オノレ・ダトリー(Honoré Dutrey)がトロンボーン、ビル・ジョンソン(William Manuel Johnson)〔初期のジャズ 人名事典 Bill Johnson 〕がコントラバスとバンジョーだった。1923年のこのグループによる録音は、より幅広い人々に集団的な即興演奏やディキシーランド・ジャズを聴かせた。 1920年代の中後期に、オリバーのバンドは、古くからのニューオーリンズ・スタイルのジャズ・バンドと全国的に人気のより大きなダンス・バンドとを混ぜたようなバンドに一変し、1926年には「キング・オリヴァーと彼のディキシー・シンコペーターズ」と名付けられた〔Southern, Eileen (1997). ''The Music of Black Americans'', p. 379. W.W. Norton & Company. ISBN 0393038432.〕。オリヴァーは歯周病に苦しみ演奏能力は衰え始めていたが、この 10 年を通して人気のあるバンドリーダーで居続けた。 不幸なことに、オリヴァーには音楽の力量ほどには商才がなかった。どの興行主もオリヴァーのお金を着服していたのである。オリヴァーはサヴォイ・ボールルーム(Savoy Ballroom)が快く支払うよりも多くの金額を要求したが、それにより仕事を失ってしまった。同様により多くのお金を要求して、オリヴァーはニューヨーク市の有名なコットン・クラブの契約も失った。そのことで若きデューク・エリントンが仕事を得て有名になったのだ〔Barnhart, Scott (2005). ''The World of Jazz Trumpet'', p. 21. Hal Leonard Corporation. ISBN 0634095277.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キング・オリヴァー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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