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キング・ジャミー(King Jammy)、プリンス・ジャミー(Prince Jammy)、本名ロイド・ジェームス(Lloyd James)はジャマイカ・モンテゴ・ベイ出身〔Barrow, Steve & Dalton, Peter: "Reggae: The Rough Guide", 1997, Rough Guides, ISBN 1-85828-247-0〕のダブエンジニア、音楽プロデューサー、サウンドシステム・オーナー。 キング・タビーの弟子で、レーベル「Jammy's」を運営している。長男ジョンジョン(John John)ら息子4人、さらに実弟アンクル・Tもそれぞれエンジニア、プロデューサーとして活動している。 代表作としてウェイン・スミスの「(Under Me) Sleng Teng」(1985年発表)などがある。 == 経歴 == ウォーターハウスにある母の家でアンプの作成や電子機器の修理などをして得た収入によって、1967年に自分のサウンド・システム「キング・ジャミーズ・スーパー・パワー(King Jammy's Super Power)」を始める〔Larkin, Colin: "The Virgin Encyclopedia of Reggae", 1998, Virgin Books, ISBN 0-7535-0242-9〕。また彼はそれ以外にも各地の他のシステムの装置も作成していた〔。数年間カナダで働くため1970年代前半にジャマイカを去った後、1976年にキングストンに戻り、ウォーターハウスの自宅内にスタジオを構え〔、ヤビー・ユーのプロダクションと組む〔。フィリップ・スマートがニューヨークで働くためにキング・タビーのチームから去った時、ジャミーはスマートに取って代わり、ヤビー・ユーとバニー・リーのように一緒に働いた〔。 キャリアの最初の数年は、専らダブの製作を行っていた。1970年代後半になると、ブラック・ウフルのデビューアルバムなど、自身のプロダクションからリリースするようになる〔。1980年代になると、ジャミーはダンスホール・ミュージックに大きな影響を与えたプロデューサーの一人となる。1985年、ウェイン・スミスによる「(Under Me) Slang Teng」はジャミー最大のヒットとなる。レゲエにおいて最初期の代表的なデジタルリディムとなるこの曲は多くの名声を得て、近代ダンスホールをリードした。ジャミーのプロダクションとサウンド・システムは1980年代以降、そして1990年代に入っても君臨し続けた〔。その後もジャミーはプロデューサー業を続け、シズラなど今日のジャマイカにおけるトップアーティストとも仕事をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キング・ジャミー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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