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キンタンポ (Kintampo)文化とは、西アフリカで紀元前2000年紀〔デイヴィド・フィリップソン(フィリップソン1987,p.188)は、紀元前18世紀からキンタンポ・インダストリーとして出現するとする。C.Flightは、放射性炭素年代測定結果から紀元前1400年頃 - 同1300年頃と位置づける。〕 に現れた新石器時代後期段階に位置づけられる初期食料生産民の文化である。ガーナ共和国中部、ブロング=アハフォ州中央部のキンタンポを中心にボルタ川西方の森林とサバンナの境界地帯に集落を築いた。W.W.BishopやJ.D.Clarkのように「キンタンポ・インダストリー複合」と呼ぶ研究者もいるが主体となって精力的に研究しているO.DavisとC.Flightは、「キンタンポ文化」と呼称しているため、本稿もこれに従う。 ==キンタンポ文化の発見と特徴== 1970年代段階で確実にキンタンポ文化のものといえる遺跡は20に満たない状況であった。初めてキンタンポ文化のものと目される遺跡が発見されたのは、A.E.Kitsonによって1916年にJemaの近くで一ヶ所、Tolundipeの近くで一ヶ所の2ヶ所が確認されたのが最初である。1970年代までに知られるようになった大部分の遺跡は、初めてキンタンポ文化を定義したO.Davisによる調査によるもので、1962年、1964年、1967年に発表された彼の論文で紹介されている。1970年代までにいくつかの遺跡が発掘調査されたが調査をして収得できた出土遺物はごくわずかで表面採集品をふくめても10数点にしかならない。しかし、これらの遺跡の出土遺物の内容は非常によく似ているために、出土品が少ないために文化自体の存在に疑いをもたれることがあっても、他のガーナ国内の先史文化の遺物とは後述するような特徴をすべてか大部分持っているために容易に区別できる。 # O.Davisがテラコッタ製の「葉巻」状土製品と呼び、Flightが「石製やすり」〔この遺物について、フィリップソンは、土器製作用、ヤムイモの「おろしがね」、動物の脚から硬い皮をはぐ道具といった説を紹介しているが、本稿では、C.Flight の主張する「石製やすり」と呼称するものとする。〕であると考えた性格不明な遺物が3つかそれ以上出土する。 # よく磨かれた磨製石斧の刃と石製のブレスレッドがある。 # 石やすりが壊れたような溝のような刻み目のある石ころか砂岩のかたまりがある。 # 独特な様式の土器(繊維がはいっていて独特な文様が施される)。 # 焼け焦げてときどき内部に使われた木の柱がむき出しになっている漆喰壁の破片のようなものがある。 といった特徴である。 この際立った特徴のため、どの遺跡も調査されていない50年代ころであっても、そういった状況からキンタンポ文化というべきものがあるらしいと考えられてきた。キンタンポ文化の経済は村落単位の農耕である。ある種の耐久性のある建物、つまり漆喰壁の破片に見られるように編み枝を組み合わせた芯に泥を塗り固めて漆喰壁のようにした方形の家屋にみられるような建物に住んだことがその状況証拠である。斧の刃や石製ブレスレッドのような高価な品物のみならず日用必需品の交易が行なわれた証拠、おそらく斧を用いて森林伐採をおこなって耕地を確保し、すり石のようなすりつぶしやつき砕きにもちいたような石製品があることから、種子をすりつぶして食料にしたと考えられる。1970年代になってようやく農耕をおこなったり家畜を飼ったという証拠といえるものが知られるようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キンタンポ文化」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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